江戸から昭和期の双六

先の日記で、島田市を走る蒸気機関車トーマス号に乗ってきたことを書きましたが、また別の日に、再び島田市へ車ででかけました。
目的は、島田市博物館の企画展『双六と人々の生活』を見るため。こちらは来年2021年1月24日(日)まで開催中。


島田市博物館は大きな博物館ではありませんが、広いと疲れてしまうので(^^;
このくらいのほどよい大きさのところが気軽でいいです。
とはいえ、遠くのこの博物館まで来たのは、もちろん、双六というテーマに興味があるからでもありますが、チラシにもなっている上の双六の絵が、川端龍子の作で、本物を見たかったからです。

私は川端龍子の絵が好きで、東京にある記念館にも行ったことがあります。その時の日記はこちら(以前の楽天ブログです。なぜか写真が消えている・・・( ;∀;)古いブログをこっちのブログに移さないとと思っているのですが時間がなくててつかずのまま・・・)

この川端龍子の双六、「友子の空想旅行双六」(1919年)という大きな双六で、ひとつひとつが、とってもかわいいのです(≧▽≦)
友子さんが天女様からもらった飛行機で、天の上の理想の島にたどりつく、それまでいろいろな目にあうというもの。

川端龍子の双六は、ほかにも「少年軍艦双六」(1917)と「冒険小説雙六」(1913)、「花咲双六」(1912)の3点もありました。うれしい~。

双六には二種類あって、「盤双六」という、二人で対戦するボードゲームと、紙に描いた絵をさいころで出た目の数ずつ進んでいく「絵双六」があるそうです(それも知らなかった(;^ω^))。
江戸時代には盤双六と絵双六が共にすごろくと呼ばれていたので混乱し、盤双六は幕末期に廃れたそうです。現在では、双六といえば「絵双六」ですよね。

展示は写真が撮れなくて残念。
ひとくちに、絵双六といっても、仏教の教えを説いたものとか、旅をしていく道中ものとか、立身出世もの、戦争時には戦意高揚もの、明治になると文明開化ものなど、さまざまな目的で作られていて、見ていておもしろいです。
お料理献立双六、流行のファッション双六、どうぶつえん双六などもありました。

ゴールにつくまでの紆余曲折も、あれま、こんな目にあうのね、などと笑えたり笑えなかったり(;^_^A

単なる遊びにとどまらず、知識や情報を広める機能や、それぞれの時代を生きた人々の生活や夢をうかがうことができます。決して、子どものものではなかったんですよね。

この展示、特殊東海製紙Pamコレクションより、と書いてありました。検索してみると、三島市にある特種東海製紙の企業資料館のようです。紙に関する幅広い資料が所蔵・展示されていて、予約すれば見せてもらえる様子。紙に携わる仕事をしている者としては、紙好きとしては、興味をそそられます~。

島田市博物館の常設展は、「旅と旅人」がメインテーマ。人はなぜ旅をしたのかを考え、江戸時代後期の大井川と川越しの様子、島田宿の川留め文化などを紹介しています。
こちらもなかなかおもしろい展示です。子どもにもわかるように説明してあります。
博物館の目の前を流れる巨大な大井川は、江戸時代、超えるのが大変だった東海道の難所のひとつでした。弥二さん喜多さんの道中記にも登場します。
川越の話だけでなく、当時はいくらかかったのかとか、旅人はお金をどうやって持ち運んだのか、とか、そういうことも書いてありますよ。

雨などで流れが早くなると大井川は危険なので渡れなくなり、渡れるようになるまで(いつとはわからない)足止めをくらいます。
川を渡すのは人力で、お金によって肩車だったり、蓮台だったりします。下の写真が蓮台。


こんな記念碑があるのを今回初めて知りました(;^_^A
川を渡す人を川越人足といい、この人たちは一年中人足をしていたわけではなく、人足当番じゃない日は農業をやっていたとか。

そういえば、川越人足がすたれたあと、人足たちはこのあたりの茶畑の開墾に携わっていくのですよー。そこまでは博物館ではふれていませんでしたが。


女性の日本髪として一般的な「島田髷(まげ)」。由来は諸説ありますが、この島田宿の遊女「虎御前」が考案して結ったのが始まりというのが一説です。
島田市では毎年9月、「島田髷まつり」が開催され、さまざまな型の日本髪・島田髷を結い、揃いの浴衣を着た髷娘たちが手踊りをしながら歩く「島田髷道中」が有名です。私はまだ一度も見たことがなく、いつか見たいと思っているのですが、今年はコロナのため中止になってしまいました(-_-;)


トイレの絵も、江戸風でかわいらしいかった。


島田市博物館には分館があります。当時の島田宿の面影が残る通り(川越街道)を歩いていくと、明治23(1890)年に建てられた町屋があり、そこを分館として活用しています。
以前、この川越街道でお茶のイベントがあり、私もお仲間に入れていただき、和紅茶のテイスティングセミナーをさせていただきました。
もっとどんどん、この場所を活用したらいいのになあ、と思います。


町屋の裏手の中庭。奥の、白い新しい建物が、2000年にオープンした「海野光弘版画記念館」です。
私はこの海野さんの版画が大好きです。
海野光弘は、昭和14(1939)年静岡市生まれ。中学1年より本格的に版画を制作。昭和52(1977)年にはスイス美術賞展優秀賞を受賞するなど、版画家として第一線で活躍をしながら39歳の若さで急逝。

記念館は、海野光弘の作品を季節によって展示替えしています。近かったら、何度でも行きたいくらい、大好きな絵です。


京都の数寄屋風の造りになっているらしく、畳に座って、こもれびや、日本庭園をゆっくり眺めるのもいいんです。


当時の台所。この分館は当時の家の様子や暮らしがわかるようになっているのもいいですね。

規模は小さいけど、見ごたえのある施設や場所が、静岡にはたくさんあります。コロナで、県外へ行きにくくなったおかげで、地元再発見できる機会が増えました。ありがたいことです。
まだまだ行っていないところ、知らないいいところがあるので、これからも楽しく歩いてみたいと思います!(^^)!

東海道の面影を残す岡部宿へ

昨日、藤枝市文学館の『ねずみくんのチョッキ展』に行ったことを書きました。その続きです。

次に向かったのは藤枝市岡部町。江戸時代に、東海道の宿場町として栄えました。実は私、今回が初・岡部です。


岡部宿は、東海道五十三宿場のなかで、江戸日本橋から数えて21番目の宿場町です。


これが、当時の旅籠(宿屋)「柏屋」で、国登録文化財になっています。
明治になり、参勤交代制度もなくなり、東海道を旅する人が少なくなったことで、旅館経営に行き詰まり廃業。


旅籠をやっていた150年間に、2度の火災に会い全焼。現在の建物は3代目のもので、江戸時代の終わり、天保7年(1836年)に建てられたものだそうです。
現在は歴史資料館になっています(有料)。


柏屋の並びには、本陣址。本陣というのは、大名や旗本幕府の役人などが使用した格式の高い、宿泊施設のことで、残念ながら当時の建物は焼失してしまったとのこと。中は公園になっていて、中に入ると、当時の間取りが表示されています。


旅籠の裏手にある、なまこ壁の土蔵が、「蔵cafe&dining coconomi」になったとニュースでやっていたので、そこでランチをしたいと思ったのでした。
しかし、予約で満席とのこと( ;∀;) テレビで紹介されたこともあり、二週間先まで予約でいっぱいだとか・・・。
こんな遠くまで来てまさか、入れないとは思わなかった・・・・(;O;)

食事はできませんでしたが、ギャラリー展示を興味深く拝見できました。展示は、日本遺産認定でした。
日本遺産(Japan Heritage)とは初めて聞きました(;’∀’)
地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを文化庁が認定するもの、だそうです。
ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的としています。(文化庁HPより)

で、日本遺産に認定されたのは、藤枝市と静岡市が連携してエントリーした、『日本初「旅ブーム」を起こした弥二さん喜多さん、駿州の旅 ~滑稽本と浮世絵が描く東海道旅のガイドブック(道中記)』。

東海道の蒲原宿~藤枝宿までの駿州8宿を、弥二さん喜多さんが繰り広げた珍道中をたどりながら、楽しんでみませんか、ということだそうです。
この柏屋、岡部宿本陣址をはじめ、三保の松原や、東海道の松並木、名物の食べ物、お寺、美術館などをたどってください~と、32のスポットが紹介されていました。

なかなか面白い取り組みだと思います。ざっと見たけれど、私が訪ねたことのない場所がたくさんあります。まだまだ、静岡県内、行きたいところがいっぱい。わくわくして展示を見てましたが、さて、お昼をどうしましょう?

岡部は初めて来たのでお店はよくわからないし、それなら次の目的地へ行ってしまおう、ということで、焼津へと向かいました。
焼津市にある「深層水ミュージアム」です。

(つづく)