わたしの若草物語

「若草物語」の著者ルイーザ・メイ・オルコット没後132年を記念した映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』。
本来なら公開になっているはずでしたが、新型コロナウイルスの感染拡大を鑑み、初夏に延期になったとのこと。

昨年、オルコットとターシャ・テューダーゆかりの場所を訪ねる「ニューイングランド・ツアー」を行ったこともあって(もちろん、オルコットも好き)、この映画は絶対に観たかったんです。
でも、リスクをしょって映画館に行く勇気がなかったので、延期になってくれて、ある意味、ほっとしました。

公式HPの予告編を見ながら、初夏の公開を楽しみに待ちます。時々、着ているドレスにチェックが…(≧▽≦) →https://www.storyofmylife.jp/

長女メグを、あのエマ・ワトソンが演じています。私的にはメグっていうよりは、エイミーだけどな…(^^; でも観てみたらぴったりかもしれない。
伯母役はメリル・ストリープ。

昨年の、私が同行解説するニューイングランド・ツアーの日記はこちらから→https://mikiokuda.com/2019/06/23/americatour1/
(日記は1~17まで続きます~)
‎ボストンは私の初・アメリカ上陸でしたが(^^; また行きたい町です。いつ行けるのだろう…( ;∀;)

先の日記でもお伝えしました通り、新型コロナのため、今年企画していたスコットランド・ツアーは中止になってしまいました…。
不自由なく、普通に暮らせることがどんなに幸せなことか。それを教えてもらったことに感謝しながら、前向きに生きていきましょう。
政府がしっかりしてくれないなら、私たち国民一人一人がしっかりしないといけませんね(-_-;)

ニューイングランドツアー日記 その10(オールド・スターブリッジ・ビレッジ)

先回(https://mikiokuda.com/2019/07/08/americatour9/)の続きで「オールド・スターブリッジ・ビレッジ」を訪ねたお話です。


中央に芝生広場が広がる中心部に来ると、野球のようなスポーツを楽しむスタッフたちが。ドレス姿では動き回りづらそう…。ドレスを手で持ち上げて走らないと、つっかかって転んじゃうものね。


こちらは当時の銀行。当時の紙幣やコインについて説明していました。


銀行の隣のベイクショップが、お土産店も兼ねています。オリジナルのジャムやロウソクなど、かわいいものがいろいろありました。私もいくつか買っちゃいました。


これは、当時のレシピで作られたというチョコレート。布の入れ物もかわいらしくて。スパイスが効いた、甘さ控えめの好みの味でした♪


出口のところにあるハーブ・ガーデン。医薬がなかった当時、ハーブは薬としても用いられ、食事にも使われるなど、生活には欠かせないものでした。こちらには、ニューイングランドのネイティブ・アメリカン、あるいはニューイングランドに移民してきた人々が親しんだ”古くて価値のある”ハーブ400種類が育てられています。
医者の資格が必要なかった当時、独学で医者になったサミュエル・トムソンのパネルもありました。トムソンはネイティブ・アメリカンのハーブ利用法を学び、自然主義医学のハーブ療法を確立させました。”その土地の、誰もが手が届く場所に、あらゆる疾患に効く薬が十分に存在する”と、植物医学を唱え、トムソニアン(トムソン式治療法)は人気を得ました。彼が出したハンドブックは何版も重ねたそうです。
アロマの資格を一応(笑)持っている私。ハーブティーを含め、植物療法にはとても興味があります。

まだ見ていない部分が残っていましたが、ランチの待ち合わせ時刻になったので、ビレッジ内のレストランへ。

みなさんはチキンポットパイを召し上がり、私は↑ベジタリアン・バーガー。これがとってもおいしかった!


デザートは数種類を数人でシェアしました。一口ずつ、ご相伴にあずかりました、相変わらずの甘さでした(;^_^A

食事のあとは、ショッピングタイム。私は見残した施設が心残りなので、見に行ってきました。

ターシャのお気に入りのビレッジ、私もとても気に入りました♪ターシャはあの姿でここへ来たでしょうから、まったく違和感なかったでしょうね(^^; スタッフと間違われたこともあったでしょう。私も今日は、ちょこっと、レース編みの襟をつけたワンピースを着て、雰囲気に浸っちゃいましたもん(笑)
一日いられるくらい、充実したビレッジでした。まだまだ、もっとゆっくり見たかったのですが、予定より時間を早めて出発することになりました。今日の夜から、ボストンへ二泊します。私を含め、みなさん「ボストン美術館」を今日見学したかった(月~金は夜10時まで開館しており、今日は金曜日でした)ので、できるだけ早くボストンへ入り、広い美術館をゆっくりと見られるようにしたのでした。

のどかな田園地帯をあとにし、一路、ボストンへ!

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その9(オールド・スターブリッジ・ビレッジ)

6月14日(金)晴れ
ブラトルボロで泊まったホテルは「ハンプトン・イン・ブラトルボロ」。ウェルカムチーズが用意されていたり、ホテル一階にはコーヒーや紅茶などたくさんの飲み物が並び好きなように飲めるようになっているコーナーがあり、なかなか考えられていました。昨日は、中華レストランでの夕食後、みんなで一階のソファに座り、好きな飲み物を持ってきて、興奮さめやらぬターシャの家や庭の話で数時間、盛り上がりました(≧▽≦)

朝食はブッフェスタイル。ワッフルメーカーがあり、スタッフの方からワッフルの焼き方を教えてもらって、バーモント州のメイプル・シロップをかけていただきました♪ 焼き立てもあって、すごくおいしかったです!スタッフの方はフィリピンから来られたとのことで、同じアジアですね!と意気投合♪

今日は、昨日の雨がうそのようによく晴れました。ターシャが好きだった歴史村「オールド・スターブリッジ・ビレッジOld Sturbridge Village」へと向かいます。


向かう途中にはこんな素敵な景色が広がっていました。秋はこれらの木々が紅葉し、ドライブが楽しいそうですよ。


ビレッジの入り口には、こんなにたくさんの国旗が。5月最終月曜(2019年は5月27日)が「戦没者追悼の日Memorial Day」だったので、そのための追悼国旗ではないか、とのこと。もともとは多くの血が流れた南北戦争の戦没者を追悼する日でしたが、現在はすべての戦争で亡くなった兵士たちを称え追悼する日なんだそうです。

でも、私たちが訪ねた6月14日が、ちょうど「国旗記念日Flag Day」だったので、それかもしれません。1777年のこの日、「星条旗」が正式にアメリカ合衆国の国旗と定められました。アメリカが独立宣言を行った頃の旗にはイギリスの国旗が入っていましたが、独立戦争で戦った相手の国の国旗が旗に入っていては国民の士気に影響するということで、ワシントンらがフィラデルフィアの旗作り職人ベッツイ・ロスに依頼し、星条旗ができあがったんだそうです。第28代大統領ウィルソンがこの日を国民の祝日としたそうで、私は平日だと思っていましたが、この日は祝日だったんですね!

星条旗の星は、独立時の13個から、連邦に州が加わるたびに増やされて現在に至っており、その度に、次の独立記念日に配置が変更される(初期を除く)。このため、星条旗は世界で最も変更回数の多い国旗だが、現在の「50星」デザインはハワイが州に昇格した翌年の1960年から続いており、2007年7月4日にはこれまでの「48星」の47年間を抜いて最も長い期間使われているデザインとなった。(Wikipedia)

スタッフの人が当時の洋服を着て、当時の暮らしを実演して見せてくれるのが特徴。実際に畑を耕し、家畜も飼っているため、その世話や、乳搾りなども、スタッフがしています。どこで何をデモンストレーションしているかは、パンフレットにちゃんと記載されているのでわかりやすいです。

建物は、新しく建てたものではなく、古い建物を移築してあるので、それぞれの建物が、どこからもってきて、何年に建てられて…というプロフィールも知ることができます。古い建物が大好きな私には、たまりません!!


これが夕食で…


これが朝食。蝋でできたものではなく、本当に調理したものでした!


ターシャの庭にもいた、堂々としたオスの鶏。こんなにまじかで見たことなかったな…(笑)

このような歴史村はアメリカのあちこちにありますが、ここは、ニューイングランドでは最大の、19世紀の暮らしを肌で感じることができる歴史村で、小学生たちが社会科見学に来ることも多いそう。この日もたくさんの小学生が来ていました。活気があり、19世紀のアメリカにタイムトリップしたかのよう。

見学時間は約2時間たっぷりとり、自由行動です。
ガイドさんから、まずは一番奥まで行ってしまい、そこから入り口に向かって見学するのがいいですよ、とアドバイスされたので、一番奥へと向かいました。最初の建物から見てしまうと、あとで時間切れになってしまい、奥の建物が見れなくなることが多いそうで、確かにそうだな、と思いました。


私の大好きな「タータン(チェック)」は、もともと羊毛から作られる布地。どうしても羊毛関係には反応してしまいます(^^; こちらは、水車の水力を利用した、羊毛を梳く機械。


こちらは水力を利用した小麦挽きの様子。


横には水車がちゃんとあります。


カバード・ブリッジもありました!


こちらのカバード・ブリッジは、車道と歩道が分かれていませんね。

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その8(ターシャ・テューダーの庭)

ランチ後、いよいよ、ターシャの家と庭へ!!! この頃には、セスさん、エイミーさんのほか、ウィンズローさん、セスさんの奥さんのマージョリーさん、エイミーさんの二人のお嬢さんも出てきてくださって、ツアーのみなさん、大興奮(≧▽≦)

わかってはいても残念だったのは、ターシャの家も庭も、写真撮影が禁止されていること。荷物を全部預けてから、小道を通ってターシャの家へと向かいました。家の中は、二手に分かれて、違う方向から見学し、最後に庭で合流するように計画されていました。私はセスさんのご案内で、もう一つのグループはセスさんの奥様のマージョリーさんのご案内です。
セスさんが日本語を話すとは聞いていましたが、案内も、流ちょうな日本語でスラスラとやられるのでびっくりしました。ただ、説明を暗記しているだけのようです。単語はわかるようですが、日本語で質問してもわからない感じです。英語で質問するのですが、セスさんの頭の中は説明する日本語を思い出すのに必死のようで、ほぼ、一方的に説明をしてくださっている状態でした。もちろん、それはとてもありがたいことなんです、でも聞きたいこともいっぱいあったんですが(^^;

NHKの、ターシャの番組や、買ったDVDを何度も観ているので、家の中の様子はわかっていても、実際の奥行き感や、大きさ、生活感、ターシャの暮らした片りんなどは、行ってみて感じことがいろいろあります。写真が撮れないので、みなさん、目をこらして、しっかりと記憶にインプットしていました(もちろん、私もです。とはいえ、どれだけ長く覚えていられるかは微妙なんですが…最近記憶力の低下が…)。

セスさんはとても丁寧に、この部屋がこの絵に描かれたんだよ、とか、ターシャが電話のまわりの壁に忘れないようにメモしていたこととか、一つ一つの部屋やおいてあるものを説明してくれました。一番の感動はやはり、ターシャのアトリエ。ここで絵を描いていたんだな~と、そのまま残っている画材などを見ながら、しみじみと感傷に浸ったりして。お亡くなりになった寝室は、両側に窓がある明るい部屋で、窓から庭を眺めたりもしていたのかな。亡くなる前一年くらいは、ほぼ寝たきりだったそうです…。

よくテレビに出てくる入り口のポーチも、あ、ここで紅茶飲んでた!!花を飾ってた!!と、動いているターシャを思い出して、感動! オスの鶏が、立派な風体でこっちを見てました。いや~絵になる…。

ターシャは1972年から、亡くなる2008年まで、36年間、ここに住み、たくさんの作品を世に送り出し、庭をつくりあげ、家族やお客様をもてなしていたんですね。

家の中の見学が終わり、庭に出たころには雨があがりました。今年は冬の寒さが長引いたらしく、ターシャが”輝きの季節”と表現した6月でも、花は、シャクナゲが咲いているくらいで、あとは全然、咲いていませんでした…((+_+)) 期待していただけに、がっかりですが、天候や暑さ寒さは仕方がありませんね。

ターシャは、自分が亡くなったら庭は自然に返そうと思う、と言っていたけれど、手入れをしなくなると庭というのはあっという間に野生になってしまうので、見かねた家族が少しずつ手は入れているようです。でも、ここに住んでいるわけではないので毎日手入れはできないでしょう。実際、全体的にボウボウの庭になっていたのはいなめません。
これからこの家と庭がどうなっていくのか…。自然に返さず、今後もファンに公開していくのであれば、家族だけではおそらく無理なので、ナショナルトラストのような団体にお任せするのも一案なのではないかと、思ったりしました。
せっかく、絵本の舞台にもなった、ターシャの思い入れが詰まった家と美しい庭があるのだから、ファンとしては、これを維持していってほしいと思うのです。ビアトリクス・ポターのヒルトップ農場のように。

家と庭の見学を終えたあとは、ショッピングタイム。ランチのために出ていたテーブルはなくなり、中はスッキリ。あれもこれも、どれも欲しい(笑)のを抑えて、みなさん、お気に入りをたくさんセレクトされていました。

私は絵はがき、カード、種、そして紅茶。ターシャのウェルシュ・ブレンド。ターシャが使っていた茶器のイラストがラベル♪♪これはお茶好きにはたまりません~。
ターシャは、ガーデナーとして有名になる前に、絵本作家として成功しました。絵本を自分で作るだけでなく、『マザーグース』や『秘密の花園』といった名作の挿画も手掛けました。『若草物語』の挿絵も描いているんですよね!それがまたとっても素敵なんです。


福音館書店の「福音館古典童話シリーズ」です!1985年の出版と、だいぶ古いので今は文庫になっていますが、この豪華本のカラーの表紙イラストが私のお気に入り。
オルコットのオーチャード・ハウスで、以前はターシャの挿画の『若草物語』(英語版なので原題はLittle Womenですが)が売っていたそうですが、今はもうないようです。

最後は事務所の前で記念撮影。サインにも、快く応じていただき、私もみなさんも、胸がいっぱい!大満足で帰路につきました。

明日は、ターシャが好きでよく訪ねていたという歴史村「オールド・スターブリッジ・ビレッジ」を訪ねるので、今日は、近くのブラトルボロのホテルに泊まります。

その前に、カバード・ブリッジCovered Bridge(屋根付きの橋)に立ち寄ってもらいました。屋根付きの橋は、世界中にありますが、私はまだ実物を見たことがなかったんです。
なぜ橋に屋根をつけたのかというと、初期の古い橋は木造だったので、その腐食や劣化を防ぐため、雨風や雪、凍結を防ぐため、景観のため、など、理由はいろいろです。屋根をつけることで、寿命を80年以上伸ばせることもあるそう。

映画『マディソン郡の橋』で、二人が出会うきっかけになったのが、屋根付きの橋。クリント・イーストウッド演じるカメラマンのロバートが、屋根付きの橋を写真に収めたくて訪れたものの、迷って、メリル・ストリープ演じるフランチェスカに道を尋ねたことから、二人の恋が始まります。
フランチェスカには夫と子どもがおり、ロバートと一緒に飛び出してはいきませんでした。わずか4日間の燃える恋。アンハッピーエンドのお話ですが、気持ちの上では二人は結ばれているのでした。

立ち寄ってもらったのは「クリーマリー・カバード・ブリッジCreamery Covered Bridge)」。1879年に建設され、修復を経て、現在に至ります。ブラトルボロの町で、唯一、当時の姿をとどめる木製のカバードブリッジです。

橋の長さは約24メートル、幅約6メートルで。車が通る部分と人が通る部分とがきちんと分かれています(危なくなくていいですね)。車道部分の幅は約4・5メートル、人が通る部分は約1・5メートル。

ホテルに行く前に大きなスーパーへ立ち寄り、飲み物などを調達。ここでもお土産品をゲット。スーパーって、楽しいですよね!
夕食は、ホテルのすぐそばの中華レストランでいただきました。雨はすっかりやんでいました。

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その7(ターシャ・テューダーの庭)

6月13日(木)雨

ターシャ・テューダーの庭を訪ねる日。願いは叶わず、この日は朝から雨でした。が、これも神様のおはからい。現実大肯定。
ボストンのあるマサチューセッツ州から、隣りのバーモント州へと向かいます。
ニューイングランドというのは、アメリカ北東部の6州(メイン州、ニューハンプシャー州、バーモント州、マサチューセッツ州、ロードアイランド州、コネティカット州)の総称なんだそうです。
1614年ロンドンの商人数人が渡来し、そのときの船長ジョン・スミスが「ニューイングランド」と名づけたと、事典にあります。
「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれる清教徒たちがメイフラワー号でアメリカにたどり着いたのは1620年。それ以降、フランス人、ドイツ人なども移住しました。

ターシャ・テューダーの庭は、ターシャが、住みたかったバーモント州で縁あって1971年に購入した約30万坪(東京ドーム約20個分!)という広さの土地にあります。家と納屋は、新たに建てるものの、古く見えるようにしてほしいというターシャの願いを聞いて、息子のセスさんが建てたんだそうです。ターシャは、自身がなぜか惹かれる1830年代の暮らしを実践していたので、それに調和する古さのある家が欲しかったというのは納得できますね。
通称「コーギー・コテッジ」。
ウェルシュ・コーギーが主人公の絵本をターシャは何冊か出版していますが、自分の家でも飼っていたので、その名前をつけたんですね! そうすると、私の家は「ヨーキー・コテッジ」だわ♪♪名前負けしているふつ~の家だけど(;^_^A

途中、おトイレ休憩を入れて、バスで走ること約3時間。地図で見るとそんなに時間がかかるようには見えませんが、アメリカって本当に広いなあと感じます。

携帯電話の電波が通じないほどの山奥だと、ガイドさん。住所は非公開らしく、以前ご案内したことがあるというガイドさんの記憶と、目印を書いたメモを頼りに、森の中をさまよい、なんとか、到着。傘をさしたセスさんがわかりやすい場所で待っていてくださいました。

バスを降りた途端、蚊がわあ~~~っと寄ってきます。雨なのでまだ少ないほうだとか。私はプリンス・エドワード島での生活で、いくら北の極寒の地域でも、蚊はちゃんと生息していることは経験済み。蚊よけスプレーを持参し、バスの中でみなさんにもお回ししました(笑)

私たちのツアーは、ランチ込みでお願いしていました。着いたのはお昼近くだったので、まずはランチ。当初は外のベンチで、ということでしたが、雨で、肌寒かったためか、家の中にテーブルを用意してくださって、そこでいただけることに。ありがたい!!

この建物は事務所だそうです。大勢のお客様が訪れた時に一旦集まってもらう場所が必要ですし、グッズを販売したりお手洗いなどの施設も必要なので、そのために建てられたようです。

入ってすぐの薪ストーブのあるお部屋に現れたのは、エイミーさん!(ターシャの孫ウィンズローさんの奥様)
NHKの番組で見て知っていても、実際に見ると本当にかわいい!!女優さんみたい!!


サンドイッチやフルーツ、スイーツなどをたっぷり、用意してくださいました。どれもとてもおいしかったです!
グッズ売り場も、とってもかわいらしくて、食べるのもそこそこに、どれを買おうか物色しちゃいました(笑)

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その4コンコードの町

お昼は、1716年創業という、コンコードでも古い歴史を持つ宿屋「コンコード・コロニアル・イン」で。


アメリカの国旗が、ああ、アメリカにいるんだな~~~という実感を盛り上げてくれます。何しろ、私、初アメリカ(笑)
1775年に口火を切ったアメリカ独立戦争の時には、このコロニアル・インのオリジナルの建物の一部が、武器などの倉庫として使われたのだそうです。毎年4月には独立戦争の格好をしたイベントをやっているらしい。

お店や住居、下宿として使われるなどの歴史を経て(ヘンリー・ソローもここに住んでいたことがあるとか)、1889年に現在の形での営業が始まったそうです。「コンコード・コロニアル・イン」という名前になったのは1900年。それから100年以上、続いているのですね。


レストランの建物を入ってすぐのラウンジ。写真左のドアを入っていくと、ホテルの建物のほうに行けます。
ホテル部分とレストラン部分の建物が、横長につながっているんです。どの部分がオリジナルで、どの部分が新しいのかはわかりません…。ただ、どの部分が古いかがわからないくらい、創業当時の面影を残すコロニアル様式に統一されているのはいい感じです♪
コロニアル様式とは、コロニアル(植民地の)材料や風土と、母国と建築様式が結合したもの。正面にポーチがつき、大きな窓やベランダがあって、アメリカではおもに木造、板を横に張った壁が特徴なんだそうです。(ざっくり)


食事をいただいたお部屋。素敵です(≧▽≦) ここに住んでたこともあるソローの肖像画が飾ってありました。


お料理もとてもおいしかったです。デザートが卒倒しそうになるくらい甘く、アメリカの甘さの洗礼を受けた私たちでした(^^;

次の場所へ向かうまでの、数十分の空き時間に、ガイドさんにアンティークショップに行きたいとお願いし、コンコードの町をアンティークショップまで歩きました♪ 古い建物が並ぶ、こじんまりとしたかわいらしい町並みです。

アンティークショップは、”コンコード焼き”が目的でした。”コンコード焼き”の本当の名前はデダム・ポッタリー(Dedham pottery:ボストンの南にあるデダムという町が発祥の陶器)といいます。ボストン土産を検索していて見つけたこちらのサイトによると。
少しグレーがかった乳白色のベースに藍色で模様が描かれ、表面が細かくひび割れているのが特徴(このひび割れが細かいほど高級なんだとか)。1896年~1943年の間デダム・ポッタリー社が研究に研究を重ねた独自の製法で作り上げ、当時アメリカ全土で爆発的人気となったとか。
残念ながら、デダム・ポッタリー社は1943年に閉鎖してしまいました。デダム・ポッタリーのアンティークは、ボストン美術館にも展示されているそうです(後日ボストン美術館に行きましたが、見つけられず(;O;))

現在販売されているのはデダム・ポッタリーの商標を保持している、デダム歴史協会が承認したポッティング・シェド社が作っているレプリカですが、レプリカでもいいから旅の思い出に欲しいなと思ったのでした。
皇后雅子様がハーバード大学に通っていらしたとき、このデダム・ポッタリーを購入され、結納のお返しにされたのだそうです、そのことはこちらのサイトに書いてあります。ウサギの柄が特徴なのかと思いきや、いろいろな種類があるんですね。アウトレット店に行ってみたくなりました。

さて、ガイドさんに連れて行っていただいたそのアンティークショップに、果たして、私が欲しいなと思うデダム・ポッタリーはありました。もちろん、レプリカのポッティング・シェド(ビンテージ)でしたのでお値段はそれほど高くはありません。どれにしようかと迷っている最中、私はなんと、一つを落として割ってしまったのです(;_:) お店の方に、割ってしまったので買います、と言うと、「気にしないで。お代はいらないから」と優しく言ってくださいました。「でも…払います」「本当にいいのよ」「でも…」を繰り返し、やっぱりこれは自分のふがいなさの記念に持って帰ろうと思い、最後には買わせていただきました。


↑こちらは、割ってない(!)小物入れ。この蓋が、すきまがあってぴたっと合っておらず、ぐらぐらして、蓋がぽろっと落ちて、もう一つのカップに落下したのでした…(;゚Д゚) 下の写真の、右側の取っ手が見事に割れて取れてしまいました。他にも欠けたところが…(◎_◎;) もう、絶句です…。

帰国してすぐに、ポンドとパテで修理しました。かなり粉々にくだけたので、こまごまと隙間があり、プロの方に修復してもらおうかとも思いましたが、自分で直してみました(修復初挑戦)。もともと割れているような柄なのと、グレーっぽい色なのが幸いして(笑) パテもそれほど気になりません。気力が出たら、この上から似た色を塗ってみようかとも考えています。こういうのも旅の思い出になりますね(^^;
ひび割れ模様のこのデダム・ポッタリーは、私のもろ好み、というわけではありませんが、素朴さと落ち着きがあり、何よりボストンツアーを忘れらないものにしてくれます。

私の一存でアンティークショップに立ち寄りましたが、ツアーの参加者さんたちも、何人かお気に入りを見つけてお嫁入りされていました。今回の参加者さんは、今までの私のツアーにご参加くださった方々ばかりで、みなさん、アン、オルコットやターシャ、アンティーク好きも私と同じ。アンティークショップに立ち寄るのも喜んで、ショッピングを楽しんでくださいました。ありがたい限りです<(_ _)>

旅行記はつづく

 

 

ニューイングランドツアー日記 その3オーチャードハウス

若草物語』の作者ルイザ・メイ・オルコットが住んだ「オーチャード・ハウス」のつづきです。前回の日記はこちら→ https://mikiokuda.com/2019/06/24/americatour2/
『若草物語』は、ルイザ自身の家族を描いた自伝的お話だということはあまりにも有名ですね。オーチャード・ハウスでの暮らしも物語の基となっています。
ルイザ自身、4人姉妹で、ルイザはというと、物語のおてんばな次女ジョーです。ジョーのようにルイザも自分の感情をコントロールできないことが悩みだったとか。オーチャード・ハウスのソファには、「ごきげんうかがいクッション」が置かれていました。長方形のクッションが縦に置かれていたらルイザの機嫌がよいことを示しているのだとか。
聡明で優しい母もそのまま(物語以上にすばらしい母だった、とルイザ)。家の中で劇を演じて楽しんだことも、ピアノが上手で内気なべスも、絵が得意な末っ子エイミーも、ルイザの家族や生活がそのまま投影されています。
べスのモデルとなった妹エリザベスは、オーチャード・ハウスに引っ越す直前に猩紅熱のため、23歳の若さで亡くなってしまいました。でも、オーチャード・ハウスには、エリザベスのピアノがあり、肖像画も飾ってあります。

ルイザは1867年に、編集者から女の子のための本を書いてほしいと依頼され、自分の姉妹以外知っている女の子はほとんどいないからと、自分が体験した時代と、自身の家族を物語にしあげました。物語がこびているところや気をてらっているところがなく、生き生きとしているのはそのためでしょう。時代背景はかなり古いですが、今読んでもおもしろいんですよね。

エイミーとして描かれた妹のメイは、作家として成功して得たルイザのお金で、絵の勉強をしにヨーロッパへ行かせてもらいました。『若草物語』の初版の挿絵はメイによるものです。体調がすぐれないルイザの気分がよくなるようにと、メイはルイザの部屋の壁にきれいな花を描いていますし、暖炉の棚にはフクロウ(知恵の象徴であり、夜更かしするルイザをフクロウに見立てたとも)を描きました(オーチャード・ハウスの内部は撮影が禁止なのでお見せできないのが残念)。
家族愛が描かれた若草物語。ルイザも、愛する家族のために作品を描き、その収入を惜しげもなく家族のために使ったのでした。自分の幸せより、家族を大事にしていたのです。

のちに人手に渡ってしまったオーチャード・ハウス。しかし、オーチャード・ハウスを博物館にしたいと、作家のハリエット・ルスロップが買い取り、有志が集まって協会が設立され、1912年に博物館として正式にオープンしました。
オルコット家の偉業を伝えたい、という熱い思いが、今もボランティアとして働く多くの人々の中にも流れています。
ご縁をえて、ボランティアでオーチャード・ハウスのガイドをされているミルズ喜久子さんに、ご案内をいただくことができました。楽しそうにオルコット家のお話をしてくださる喜久子さん。本当にオルコットが好きなんだな~~と、しみじみ感じられ、ツアーの参加者さんも目を輝かせてそのお話を聞かれていました(もちろん、私もです!)。

オーチャード・ハウスのギフトショップでは、みんな興奮しながらいろいろとお買い物♪ 私は厳選して、厳選して…

4人姉妹の付箋がかわいい!使うのがもったいない…。右上のカードは、1915年版『若草物語』の挿画を担当したジェシー・ウィルコックス・スミスの絵。やっぱりいいなあ~。

↑バスに乗る前に、歩いてすぐのところにある、ナサニエル・ホーソーンの家ウェイサイド」を見に行きました(外観だけ見たいとお願いしたの)。実はホーソーンがこの家に住む前は、オルコット一家が住んでいたのです!1845~1848年までの三年間、住んでいました。ルイザはこの家(オルコット一家はヒルサイドと名前をつけていた)で、初めて自分の部屋をもらい、とても喜んでいます。少女時代、この家での日々が最も幸せな時期だったと言っているほどです。そんなこの家こそ、『若草物語』の真の舞台ですね。

実は、『赤毛のアン』の作者モンゴメリも、オルコットが大好きでした。『赤毛のアン』の原稿を受け入れ出版に応じたのは、実はカナダの出版社ではなく、ボストンの出版社でした。赤毛のアンが大ヒットし、モンゴメリはボストンの出版社から招待を受け、1910年11月にボストンを訪れているんです。
その時、モンゴメリは、このオーチャード・ハウス、そしてホーソーンの家(この家かな?別の家かな?)、エマーソンの家にも来ているんです。
オーチャード・ハウスが博物館としてオープンしたのは1912年ですが、モンゴメリは1910年に訪ねた際、きっと内部も見学していると思います(コネクションを使って…(笑))。そして、島以外で、私が住みたいと思った唯一の場所がコンコードだと、日記に書いているんです! モンゴメリが住みたいとまで思って気に入ったコンコード。町の中心地(オーチャード・ハウスは町のはずれのほうにある)へ、お昼を取るため、移動です。

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その1

私が同行解説する『ターシャ・テューダーの庭とニューイングランドの旅7日間』の思い出をつづります。

一日目 2019年6月11日(火)
成田空港から、JALのボストン直行便で出発。機体は最新鋭のためきれいで、座席も通常より少し広いとのこと。料理もおいしく、日本語も通じるので、みなさん快適に過ごされたようです。いつも通路側の席を取るのですが、今回はすでにいっぱいで窓側しか空いていませんでした。でもそれおかげで、窓からの景色が撮れました。ボストン空港にかなり近いところの写真ですが、眼下に見えるのがどのあたりかは、さっぱり(^^;

18時過ぎに、無事にボストンに到着。約12時間のフライト。それほど揺れもなく、ほっとしました。
一番驚いたのは、窓には遮光用のブラインド(プラスチックの覆いを上げ下げするやつ)がついてなくて、どうやって暗くするんだ!?と、戸惑いました(;’∀’) 窓の下のボタンを上下に押していくと、明るくなったり暗くなったりするしくみでした!今はこんなふうになっているんですか!!衝撃。窓全体が段階的に青みを帯びていき遮光するんですが、完全には暗くならないんです。完全に暗くならないとぐっすり眠れない私、昔のブラインドでいいのにな…って思ってしまう。アイマスクをつければいいのだけれど、映画も観たいし、時差ボケの調整に起きているのもいいだろうと思い、ほとんど映画を観てました。
私にとっては、実は初・アメリカ(笑) 時差は13時間(ほぼ昼夜逆転ですね)。入国審査は、審査官によって聞かれる内容も違うようですが、私は目的と何日いるの、だけで終わりました(^^ゞ 参加者さんが、新品で購入されたというスーツケースのキャスターが一個、壊れてなくなっているという問題が発生。私も以前、一人旅の帰国時、スーツケースが大きくへこんで壊されたことがあります。新品と交換してもらったけれど、旅の始まりにスーツケースが壊れるのはつらいですよね。

出口で現地ガイドさんのお迎えを受け、バスに乗り込み、ホテルへと移動。ボストン空港は、ボストンの中心地からも近いので楽ですが、翌日からの目的地が、ボストン郊外のコンコード、そしてバーモント州なので、そちらへ移動しやすいボストン西部のホテルに宿泊します。ネイティックNatickというところです。19時過ぎていたのでこの日はこれで解散。
ホテルのすぐそばには、大きな、ネイティック・ショッピングモールがあります。明日はこのモールの中で夕食を、と考えており、外もまだ明るかったので、添乗員さんと一緒にどんなところか視察へ行ってみました。小腹が空いていたので、フードコートでちょこっとメキシカンフードを。モールは21時で終了なので、ほとんど人はいなかったです。

カナダのショッピングモールでその巨大さには慣れてはいますが、アメリカも負けず劣らず大きい!!そしてここはきれい!!モール内に白樺の小道やら、休憩ベンチにはチェスまで用意されている…。


ここはトイレ。なんとまあゴージャスな…。

お店もたくさんあるし、明日は夕食を含めてもたくさん時間があるので、ショッピングも楽しめそうです。
(つづく)