バーチャルウォーク・ランに参加しよう♪

若草物語』好きの方!
オルコット好きの方!
走ること歩くことが好きな方

バーチャル・ウォーク・ランのイベントに参加してみませんか?
本来なら、現地に行かなければ参加できないウォーク・ランに、今年は日本にいながら参加することができます♪♪
目的は、教育と歴史保存のための基金を集めること。

『若草物語』の作者ルイザ・メイ・オルコットが住んでいた家「オーチャード・ハウス」が主となって、アメリカのコンコードの町で、15年前から毎年開催されている恒例のイベントだそうです。
今年は新型コロナのため、バーチャルでの開催となりました。

期間:2020年9月10日(木)~9月20日(日)の間の、お好きな時間
参加資格:どなたでも。

もっと詳しくはこちらの日本語の案内(PDF)があるので、ご覧ください。日本語案内をボランティアの喜久子・ミルズさんが作ってくださいました。
ありがたいですね!

まずは、申し込みをします↓
こればっかりは英語のサイトになります(;^_^A でもそんなに難しくはありません。上部のオレンジの「Register」を押して、登録します。
https://runsignup.com/Race/MA/Concord/BenefitWalkRunforLouisaMayAlcottsOrchardHouse

*印がついている欄は、必ず記入しなくてはいけないところです。

誰が登録しますか?(Who are you registering?)と出ますので、自分ならme、別の大人(other adult)、18歳以下の子ども(minor)かを選択

その下の、Basic Info(基本情報)に、名前、Eメールアドレス、自分が希望するパスワード、生年月日、性別、電話番号、住所を記入。

最後に、どのコースにするかを選んでチェックを入れます。大人の無料のコースは、一番最後の1マイル(約1・6キロ)です。5キロ、10キロ走れる方は、30ドル(9月1日まで申し込んだ場合の料金。それ以降は35ドル)でそちらをチェックしてくださいね。

お友だちの分も一緒に申し込むこともできます。私は、グループを作って、そこにお友だちを入れました。たった二人ですが(^^; でもグループには違いありませんので(^-^; グループ名を考えて、書き込んでくださいねー。グループを作った人が代表者になるので、メールアドレスは作った人のを入れてOK。

コースまで選択後、画面が変わると、寄付をお願いするページが出てきます。寄付をされる方は金額を選択して必要事項を記入してください。何もされない方は、何もせず、一番下のContinueボタンを押して次へ。

そうすると、グッズの購入画面が出てきます。これも、希望されない場合は、何もせず、一番下のContinueボタンを押して次へ行ってください。

申し込み締め切りは、日本時間9月20日(日)22時です。

登録後、オーチャード・ハウスから「Bib Assigned for 15th Annual Benefit Walk/Run for Louisa May Alcott’s Orchard House」という題名のメールが届きます。そのメールの一番下に、「Don’t forget to check out the virtual bib for your registration!」という文章とURLがありますので、そのURLをクリックすると、ゼッケンが出てきます。右上の「Print(印刷)」を押してご自分でプリントアウトし、それをウォークランする時の服につけます。

いくつかメールが来るのですが、Race Joyのアプリを無料ダウンロードしましょう、というメールも来ます。このアプリは、 iPhone 、Ipad などAppleのデバイスでしか使用できないそうなので、私はスルーしました。入れたい方は入れてください~。よりウォークランが楽しめるようです。

いよいよ、実行!!
ゼッケンをつけた服で、9月10日から20日の間に、登録した距離を、歩くか、走るか、します。家のランニングマシーンでも、階段でもいいそうです。せっかくですから、アメリカの、緑豊かな田舎町の風景を思い描きながら、あるいはそれに近い場所を選ばれるといいですね。

その結果を以下のサイトに送ります。そうすると完走証がもらえます!
https://runsignup.com/Race/Results/93087

ウォークラン中の写真は以下のサイトにアップして記録として残しておきましょう♪
https://runsignup.com/Race/Photos/MA/Concord/BenefitWalkRunforLouisaMayAlcottsOrchardHouse

この時期、まだ日本は暑いので、歩いたり、走ったりは難しそう…でも応援はしたい!という場合は、寄付という形で応援ができますよ。
寄付は15ドルからできます。こちらからどうぞ(英語のサイトになります)
https://runsignup.com/Race/Donate/MA/Concord/BenefitWalkRunforLouisaMayAlcottsOrchardHouse

この、ウォーク・ラン活動へ賛同し、この活動へ募金をしたい方は以下のサイトから(英語のサイトになります)
https://runsignup.com/Race/Donate/93087/BecomeFundraiser

Fundraiserというのは募金(活動)という意味です。このサイトですと、寄付したい金額を自分で打ち込みます。自分のサイトURL、自分の写真をアップして宣伝できるほか、メッセージも送れます。企業や団体、グループは、自分たちの宣伝にもなっていいですね、これ。

コロナ禍の中、イベントを諦めずに、試行錯誤をしながらがんばっているご様子に、胸があつくなります。
多くの方に賛同いただき、このイベントが成功するように、私も応援したいと思っていますので、どうぞ、ご参加、そして情報の拡散をお願いいたします<(_ _)>

私が、みなさんとニューイングランドツアーでオーチャードハウスを訪れたのは昨年の6月でした。1年後に、まさか、こんなことになるとは思ってもいませんでした。でも、コロナ禍は現実です。
自分ができることをして、少しでも気持ちを楽しく、前向きに持っていけたらと思います。

オーチャードハウスは、現在もコロナのために閉館していますが、展示品をネットで見られるように動画も発信されています。ぜひ、こちらもご覧になってくださいね。(現在、日本語の説明文をつける作業をされているそうですよ♪)
https://mikiokuda.com/2020/05/08/virtualorchardhouse-2/

最終更新日:2020年9月10日

ニューイングランドツアー日記 その17(最終回)カフェ&ディナー

「イザベラ・スチュアート美術館」へ向かいます。「パーク・ストリート駅」で、グリーンラインへと乗り換え。先ほど、私が乗り換えを間違ったいわくつきの駅。果たして、またしても、ここでトラブルが発生!!!
グリーンラインの電車がいっこうに動き出さないのです!!!周りの人びとが顔色も変えずに黙っておとなしく待っているので、私もそれに従って待っていましたが、だんだん、周りの人も何かがおかしいと思ったらしく、ざわついてきました。そして15分くらいして、全員が電車を降りていきます。放送で何か言っているのですが聞き取れません。そしたら一人の人が私に「電車が壊れたんだって」と教えてくれました。
流れに従って、隣のホームにある電車に乗り換えました。これで発射するかと思いきや、これまたこちらの電車も待てど待てど、一向に発車しない!!!運転手や、ホームの駅員に聞いても、わからない、の一点張り。怒り出す人も出始めました。
ちょうどその時、乗り込んできたのがツアーの参加者さん3名。「どうしたんですか?」と聞かれて、これまでの経緯を説明。それでも座って待っている人がたくさんいるので、待ったほうがいいのかな、と思い、参加者さんと一緒にしばらく待っていました。放送が流れて、みんなが電車を降りて改札を出て地上へと出ていきます。バスがどうのこうの、と言っているのは聞こえたので、もう電車は動かないんだな、代わりにバスが出ると言っているのだと判断し、その流れに沿って、地上へ。
美術館は5時までで、4時までには入れなければ十分に見れないしお金ももったいない。もう、かれこれ私は30分くらい、この駅で足止めをくっていました。バスがすぐに来たとしてももう4時には間に合いません…。美術館は諦めるしかなくなりました。まさか、こんなことになるとは、思いもしませんでした。本当に悔しくて、腹立たしい!!もっと早くに対処してくれればいいのに、なんて対応が遅いんだろう!!タクシーに乗ればよかったのかもしれませんが、頭を切り替えることができませんでした。

地上に出てからも、バスが全然来ないんですよ。人は多いし、暑いし…。さすがにしびれが切れました。もう、美術館には行けないし、このあとどこかに行きたいっていう意欲もうせてしまったし、バスも来ないし、いつ来るかもわからないし……歩きましょうか?頼れるのは自分の足だけ(笑)ってことで、歩いてホテルまで帰ることにしました。駅4つ。30分くらいかな。
4人なので、おしゃべりしながら、景色を見ながら、楽しく歩いていけたので、気分も晴れてとても楽しかったんです。一緒に歩いてくださった3名の方、ありがとうございました<(_ _)>

暑くて、途中で休憩しませんか、という話になり、ちょうど見つけたかわいいお店に入ることにしました。「L.A. Burdick Handmade Chocolates」、チョコレート屋さんです。


フランス風のおしゃれな店内。一角がカフェスペースになっていて、ちょうど4名、座れました(*’ω’*) チョコレートも、ねずみの形や、ペンギンの形をしていてとてもかわいらしい。


私は紅茶党ですが、ここはチョコレート屋さんなので、コーヒーを頼みましたよ。おいしかったけれど、私には濃すぎたので、水で薄めて飲みました(笑)


朝、私が公共図書館へ行くために降りた「コープリー駅」まで来ました。駅を出たところの広場「コープリー・スクエア」はボストンマラソンのゴール地点があります。広場でひときわ人目を引くのは、写真中央の「トリニティ教会」。11世紀のフランス・ロマネスク様式で、1877年に建てられました。中に入れますが、もう気力がないので、ホテルに帰ります(;^_^A


教会よりも背の高いビルに囲まれていても、なんだか違和感なく溶け込んでいるんですよね。ボストンは、古いものと新しいものがうまく溶け合っているように感じ、それがとても気持ちがよかったです。

ホテルに向かう途中にスーパーがあったので、そこに立ち寄って、最後のお土産探し。クランベリーのチョコレートを買いました♪ こうして、無事に歩いてホテルに帰りつきました(笑)地下鉄は動き出したんでしょうか…ああ、もう思い出したくもない。
私たち以外にも、地下鉄トラブルに巻き込まれた参加者さんがいらっしゃいました。でも、近くにいた方が、別のラインの最寄り駅を教えてくれて、歩いて別のラインへ乗り換えて無事に帰ってきたそうです。
また、私が行けなかった「イザベラ・スチュアート美術館」へ行った参加者さんが、私があまりにかわいそうだと、パンフレットと、撮った写真のデータをくださいました。それを見ながらいつになるかわからないけれど今度こそ行くんだ!と、心に決めた私であります(;’∀’)

今日は、ボストン最後の夜。みなさん、ボストン名物のロブスターを食べたい!ということで、ホテルのすぐそばの人気店「Summer Shack」を予約してもらっていました。18時半にロビーに集合し、みんなでお店へ向かいました。

ロブスターも牡蠣も、プリンス・エドワード島の名物でもあります。島ではロブスターはゆでたそのままで運ばれてきて、添えられた溶かしバターをつけて食べるんですが、こちらはもうロブスターに濃い味のソースがからめてあったのが残念…((+_+)) ゆでた状態で食べて味を見て、少しずつ味を足していく方法のほうがいいですよね。
プリンス・エドワード島のロブスターよりも大きくて、弾力があり、強い!という印象でした。

楽しかった旅行は今日で終わり。明日、日本へ帰国します。ホテルを出るのは11時。近場に行く時間はあります。
私は地下鉄の一日券が今日トラブルで存分に使えなかったので、くやしいので明日も動くことにしました。ボストンの地下鉄の一日券は、買った時間から24時間使えるんです(ありがたい!)。私は9:21に買っているので、帰りの地下鉄、9:21までに改札を通せばオーケー。
ということで、6月16日(日) ツアー最終日は、朝食後、地下鉄に乗って、もう一度、ビーコン・ヒルを歩いてきました。ちょうど駅で、昨日ご一緒にホテルまで歩いてくださった参加者さんと落ち合い、その方々もビーコン・ヒルに行くというので一緒に歩いてきました。丘をくだって、もう一度パブリックガーデンへ行き、誰もいない「かもさん おとおり」の像を写真に撮って、ガーデンをつっきって、9:21前に地下鉄へ入り、ホテルに無事に帰ってくることができました。これで、一日券のもとを取ることができました(笑)

空港へ向かう途中で、雨が降ってきました。涙雨でしょうか。結局、ターシャの庭で雨に降られただけで(その雨も結局は降ってよかったんです)、あとは天気に恵まれ、けがも病気もなく、みなさん無事にツアーを終え、帰国されました。とてもよい参加者さんに恵まれ、充実したツアーを行うことができました。本当にありがたく、感謝のひとことです。

来年は、5月中旬から8日間で、スコットランド・ツアーを企画しています。またブログ等でお知らせさせていただきます。楽しみにお待ちくださいね(≧▽≦)

長かった旅行記、これにておしまい♪

 

 

 

ニューイングランドツアー日記 その16(ティーパーティミュージアム)

次の目的地は「ボストン・ティーパーティ・シップ&ミュージアム」。アメリカ独立戦争の引き金になったボストン・ティーパーティ事件がわかる博物館です。

ガバメント・センター駅から地下鉄に乗ろうと一日券を改札口に入れたところ、エラーで中に入れない!! 先ほど入れなかったのがまだ続いているのでしょうか…でももう1時間以上経っているので、時間は関係ないはず。何度やってもダメで、近くにいた男性が見かねて助けてくれようとしますが、他の改札機械もだめ。職員に聞こうとしますが、ボストンの地下鉄って、ほとんどの駅に職員がいないんですよ。外に出ても誰もいないし、さすがに次のところまでは歩く気力はありません(けっこう距離がある)。ええい!!とやけくそになり、ずらりと並んでいる改札機械に、かたっぱしから入れてみました。すると、何代目かの機械でうまく入れたではありませんか。一体、何なの????
まあ、入れたからいいんですけどね…でも、どうして私、いつもこうなるんだろう???ホームに先ほど助けてくれた男性がいたので「入れたよ!」と声をかけると、「なんでだろうね?おかしいよね?」って感じで笑って肩をすくめてくれました。

レッドラインの「サウス・ステーション」駅から、歩いて7分ほど。ボストン港の入り江にあります。
ガイドさんから、入館料を払わなくても外から船が見える、ということは聞いていましたが、本当に、道路から船がまる見え、おまけに、私は見れなかったのですが、茶箱を海に投げ捨てる場面も見えるんだそうです。
帆船は、事件の舞台になったイギリス船ビーバー号、ダートマス号、エレノア号の3隻のレプリカで、入館者も参加しながら事件を再現・体験するスタイルを取っています。最初は入館するつもりでしたが、このあとどうしても「イザベラ・スチュアート美術館」に行きたかったので、ここはカフェとギフトショップ(利用は無料)だけにしました。


入り口に立っているこの人は…サミュエル・アダムズ???かな???

ボストン・ティーパーティ事件とは何か?
イギリス東インド会社によってアメリカに輸入されたお茶があまりにも高かったことと、本国政府が東インド会社にお茶を植民地で独占的に販売する権利を与えたことに対する怒りが引き起こしたもの。1773年、ボストン港に入港していた同会社の船に、夜、モホーク族に変装した男達が侵入。茶箱342箱(価格1万8千ポンド)を海中に投げ捨てました。イギリス当局は犯人を捕らえようとしたが、植民地人は「ボストンで茶会(ティーパーティー)を開いただけだ」と冗談を言ってごまかし、真犯人を見つけることはできませんでした。
イギリス本国は報復としてボストン港を封鎖し、さらに強圧的諸条令を制定して植民地側を屈服させようとします。反発した植民地側は茶はもちろんイギリス製品の不買運動などに立ち上がり、1774年9月にはイギリスの強圧的諸条令に対してアメリカ植民地の12の代表が集まり、フィラデルフィアで大陸会議を開催し、アメリカの独立を決定。こうして1775年にアメリカ独立戦争の火ぶたが切られました。
人々は茶を飲まないことを決め、かわりにコーヒーを飲むようにしたため、今、アメリカはコーヒーの国になったといわれています。


ティールームは地下にあり、先に注文をしてから席に着きます。窓からは帆船の様子が見えます。


私が頼んだのは「ティー・テイスティング」。古くからある5種類の紅茶(コング―、シングロ、ヤング・ハイソン・グリーンティー、ボヒー・ブラックティー、スーチョン)の試飲ができるというもの。どんなふうにテイスティングするんだろう??カップはどんなもの??とおそるおそる頼みましたが、いざ部屋の中に入ってみると、上の写真のように、すでに淹れてあるものをコックをひねって好きなだけ飲む、という、いわゆる飲み放題的な(^^;スタイルでした。大きな紙コップを渡されたのにもΣ(・□・;)
テイスティングだけするつもりでしたが、レジの女性に「他に注文は?」と聞かれ、ふっと目に入った「ボストン・クリームパイ」。ボストンの人びとが大好きな、甘いスイーツだとガイドさんから聞いていました。甘ったるいけどまた食べたくなるんですよね…ともお話していた魅惑のケーキ。甘いものは控えているのだけど、勢いで頼んじゃいました(;^_^A


ガイドさんの言うとおりにと~~~~~っても甘いケーキでしたが、紅茶と一緒にいただいたのでそれほど気になりませんでした。もとを取らなきゃ、と、紅茶も5種類、がぶがぶ飲んで、おなかはもういっぱいです(笑)


私は紅茶党なので、ここのギフトショップはもう、天国♪♪ いくらコーヒーの国といっても、この博物館のギフトショップで紅茶を売らないのはおかしいですものね~。茶箱を投げ捨てている絵が描かれた紅茶はそれはたくさんあります。お友だちへのお土産も、ここでじっくり選びました。


木箱に花の絵が描かれているのは、ボストン・ティーパーティ事件当時のものとされる、現存する唯一の茶箱の柄を模したもの。ジョン・ロビンソンという少年が、ボストン・ティーパーティ事件のあと、岸辺で浮いていた茶箱を見つけて持ち帰り、階段の下に隠したんだそうです。ロビンソン家の茶箱は受け継がれ、現在博物館内に展示されています。実物の箱は当然古いのでもっと茶色くて、花の模様ももっと簡素、実物に近い木箱のお土産用レプリカも売っていました。
名残惜しいですが、今日の最後の目的地「イザベラ・スチュアート美術館」へ向かいます。

旅行記はつづく

 

ニューイングランドツアー日記 その15(クインシーマーケット)

教えられたとおり、しばらく歩くと駅らしきものが見えてきました。


ビルとビルの間に、レンガの古い建物が見えたので、引き寄せられるようにそちらへ(笑)


これが「旧マサチューセッツ州議事堂(Old State House)」でした。今ボストンに現存する公共建物の中で最古と言われているそうです。1713年に建てられた当初はイギリス植民地政府が置かれていて、州議事堂として使われてきましたが、1776年、東側のバルコニーにおいて初めて「アメリカ独立宣言」が読み上げられました。


上の写真の真ん中のバルコニーがそこです! 中が博物館として見学できるようになっているようですが、時間がないので泣く泣く見学を諦め、クインシー・マーケットのほうへ。
クインシー・マーケットのある一帯は、「ファニュエル・ホール・マーケット・プレイス」といい、サウス・マーケット、クインシー・マーケット、ノース・マーケット、マーケット・プレイスの4つの建物があり、100軒以上の店が並んでいます。


写真のように、フェニアル・ホールは、修復工事がされていて見えませんでした…残念。1742年に、ボストンの裕福商人ピーター・ファニュエルが寄贈した建物。独立運動がさかんな頃、政治家ジョン・ハンコック(マサチューセッツ州の初代知事。アメリカ独立宣言に最初に署名した人物でもある)や、アメリカ建国の父の一人である、政治家サミュエル・アダムスなどが集まり、集会を開いたそうです。
写真の男性のように、当時の格好をして歩いている人がたくさんいました。カメラに慣れているので何も言わなくともさっとポーズを取ってくれます。このあたりのガイドさんなのか、さきほどの旧マサチューセッツ州議事堂のスタッフなのか…わかりません(^^;


アメリカ独立運動の指導者、サミュエル・アダムスの像が堂々と立っています。


目的のクインシー・マーケットは1824年から2年の歳月を費やして建設された二階建ての建物で、三角形のペディメントや柱など、ローマ式になっていますね。外はニューイングランド伝統の御影石造り、内壁は赤煉瓦造り。当時の市長だったジョサイア・クインシー3世から名前がとられています。クインシーは増税や市債の発行を一切行なわずに建設費用を調達したとか(すばらしい!)。19世紀前半に建てられた、当時全米最大のショッピング施設の1つとして国定歴史建造物に認定されました。


内部がレンガなのがよくわかりますね。ここは中央にあるドーム(ドーム部分は銅)で、ドームの下が1階、2階ともにイートインスペースとなっています。そう、クインシー・マーケットはフードコートなんです。

とにかくいろいろな飲食店が軒を連ねています。私はここで、どうしてもこれだけは!という「ボストン・クラムチャウダー」をいただきました。バターで野菜をじっくり炒め、ミルクが入った濃厚な白いクラムチャウダーが”ボストン”で、血トマトピューレの酸味が爽やかなトマトベースの赤いクラムチャウダーが”マンハッタン”なんですって、知ってました?(私は知りませんでした(^-^;)


写真のスプーンに入っているクラム、オレンジ色ですよね。ボストンでいうところの”クラム”というのは、日本の小さなアサリではなくて、アメリカ近海に生息する「ホンビノスガイ」。ハード・クラム、チャウダー・クラムともいわれています。ものすごくデカい!です。(私が住んでいたプリンス・エドワード島でもこのクラムが採れました、私も潮干狩りでいっぱい採って食べた思い出があります)
日本には生息していない外来種ですが、北米からの貨物船のバラスト水に混じって来て、日本にも定着してしまいました。外来種は強くて在来種を駆逐してしまう勢いなので、クラムに限らず日本でも問題視されていますよね…。そんなことを考えながらも、おいしくいただいて(^^; 周りのお店をちょこちょこ見て、お土産を購入し、次の目的地へ。

旅行記はつづく

 

ニューイングランドツアー日記 その14(パブリックガーデン)

ボストンでの丸一日フリーデーの日記が続きます。
その11→https://mikiokuda.com/2019/07/11/americatour11/
その12→https://mikiokuda.com/2019/07/12/americatour12/
その13→https://mikiokuda.com/2019/07/13/americatour13/

ビーコン・ヒルを下って、「ボストン・パブリックガーデン」へ。アメリカ最古の植物園のひとつ。

入ってすぐにあるのが、絵本かもさん おとおり』(ロバート・マックロスキー作、わたなべ しげお訳.、福音館書店 1965 年)を記念したカモのお母さんと子どもたちの像。


上は人がいない写真ですが、これは翌日曜の朝早くにもう一度行った時の写真なので誰もいませんでしたが、土曜日の日中に訪ねた時は、親子連れや観光客がひっきりなしに写真を撮っていたため、人のいない写真が撮れるような状況ではありませんでした。すごい人気です。


こちらはツアーの参加者さんが撮られた写真。ちょうど『かもさん おとおり』の絵本を持って記念撮影をしていた時の写真がかわいらしかったので使わせていただきました♪

この絵本の舞台はボストンで、カモ一家がボストンのパブリックガーデンへ引っ越ししてくるお話です。まさに、今、私が歩いているボストンの町並み、パブリックガーデンがそのまま、絵本の中に描かれているんです。


カモさんたちは、今もいっぱいいます(^^; そしてリスもたくさん!全然人間を恐れません。


絵本の中にも描かれてる「スワンボート」は、125年以上もの間、地元の人びとに親しまれているのだとか。井の頭公園のボートと同じ?!!かな。


ジョージ・ワシントン像。1783年に、イギリスがアメリカの独立を認めるパリ条約が締結され、初代大統領になったのがワシントン。
パブリックガーデンの写真を見ていただいてもわかるように、ボストンの町中、中心にあるパブリックガーデンは、都会のオアシスです。きっと、ルイザ・メイ・オルコットも、ここで精気を養っていたのではないかしら。

そして、パブリックガーデンに隣接する「ボストン・コモン」(1634年に設置された全米で最も古い公園)も、人々の癒しの場として利用されています。

ボストン・コモンを突っ切って「パーク・ストリート駅」へ向かいました。とにかくいい天気で暑くて、歩いていると汗が吹き出します。


公園の木立の間から、その存在感ある姿を見せる「マサチューセッツ州議事堂」。1798年に建てられて以来、数度の増改築を経て、現在も州議事堂として使われているとのこと。金色の丸ドームが太陽の光でキラキラと輝いて絢爛豪華!!!23金が使われているそうです。

そして、パーク・ストリート駅のある交差点にそびえるのが「パーク・ストリート教会」。1809年に完成、1812年の米英戦争時には弾薬庫として使われました。ウィリアム・ロイド・ギャリソンが、1829年7月4日にアメリカで初の奴隷制度反対の演説を行い、1831年の独立記念日にはサミュエル・スミスがここで初めて「アメリカ」を歌った、とガイドブックには書いてあります。独立する以前は、イギリスの紋章にもなっているライオンの飾りがついていたそうですが、独立後にはもういらない!と、取り去られたとか。

パーク・ストリート駅からは地下鉄に乗って、次のガバメント・センター駅で降り、クインシー・マーケットへ行く予定でした。が、違う方向の地下鉄に乗ってしまいました(私としたことが…なんたる不覚…)。
次の駅で降りて一度出て(出ないと反対方向へ乗れない造り)、再び入ろうとしましたが、改札が開きません!ちょうど係員がいたので聞いてみると、一度出たら、5分だか20分だかの時間を開けないと入れないと言うのです!!(本当か?!)
入れないんじゃ仕方がない。しぶしぶ諦め、再びボストン・コモンを歩いて横断し(;^_^A パーク・ストリート駅へ戻りました。これで時間が空いたのできっと地下鉄に入れるはず。とはいえ、さっきとは反対方向へ行く乗り場がわからず、通りすがりの人へ聞いてみたら、ガバメント・センターは次の駅だから、歩いたらいいよ!!この道をまっすぐ行くだけ、7分くらいだよ!とのこたえ。
ボストンの地下鉄の中心部は、駅と駅との間が短いので歩けるのは知っていましたが、せっかく一日券を買ったのでフルに使おうと思っていたのです。それに暑くて歩きたくなかったのです。が、結局乗り場があやふやだったので(笑) 思い切って歩くことにしました。

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記その13(ビーコンヒル)

昨日の日記に引き続き(https://mikiokuda.com/2019/07/12/americatour12/)、丸一日のフリーデーの続きです。

ボストン公共図書館をあとにして「チャールズ駅」へ移動。ビーコン・ヒルを散策します。
ビーコンとは「(丘・塔の上などで燃やす信号用の)かがり火,のろし」という意味で、ヒル(丘)という名がついているように、ゆるやかな坂の多い地域です。当時から現在まで、お金持ちが住む高級住宅地であることは変わりません。


お店も並んではいますが、基本は住宅街なので、とても静かで落ち着いています。車が一台通るのもやっと、という狭い路地も。昔はここを馬車が走っていたのです。


玄関先や窓辺の植栽も、きれいに整えられています。お金持ちが住んでいる地域ですから、花の手入れを外注する人も多いとか。


目指すは「ピンクニー通り」。『若草物語』の作者、ルイザ・メイ・オルコットが住んでいた家がいくつかあるからです。ルイザは、昨日訪ねたコンコードで暮らした年月より、ボストンで暮らした年月のほうが長いのです。


オルコット一家は、ルイザが2~8歳になるまでボストンに住み、そのあと一家はコンコードへ引っ越ししました。16歳の時に再びボストンへ戻り、ピンクニー通り20番地で暮らし始めます。上記写真の、街灯があるところが20番地。表示があるのですぐにわかります。ルイザの部屋は3階にありました。


ここには1852~1855年まで暮らしました。
父の理想教育・哲学がうまく進まず、一家は貧乏でした。母は働きに出て、下宿人を置き、ルイザは姉とともに縫物や家政婦、家庭教師などの仕事をしてお金を稼いで一家を支えました。忙しい合間に時間を見つけて執筆を続け、詩や小説を雑誌に投稿していました。ルイザの詩が初めて掲載され、原稿料をもらったのは19歳の時。
20歳の時には、姉と一緒にここで学校を開きました。そして22歳の時、ついに 処女作『花のおとぎ話』が出版されます。この家は、ルイザが作家として成功の道を歩み始めた場所ともいえます。


同じピンクニ―通りのこの14番地にも住んでいた時期がありました。オルコット一家も、ルイザも、何度となく引っ越しを繰り返しているので、それをすべて辿るのは大変です。区画整理で番地が変わっていることもあるのよ、と、オルコットを研究している私の友人は苦労していました。

ルイザは家族を大事にし、家を支えるために本を書くことを喜びとしていました。しかし、いくら家族を愛していても、ずっと一緒にいたら息が詰まってしまうこともあったはず。ルイザがコンコードに定住せず、ボストンにしょっちゅう暮らしたのも、息抜きや、刺激をもらう意味もあったと思われます。都会のボストンで、奴隷制廃止や、女性の権利についての運動に関する催しに参加したり、文化的な楽しみを謳歌し、次の作品にも生かしたでしょう。愛読書だった『アンクル・トムの小屋』のストウ夫人のように、自分も小説を書きたいと夢見ていた少女は、人気作家になったのです。
結婚の話もあったのに、ルイザは結局、独身を通しました。

そして、晩年、ビーコン・ヒルの中でも特に値段が高く最上流が住んでいるエリア、ルイスバーグ・スクエアに、老齢になった父の介護のための家を、1885年に借ります。それが10番地のこの家。

ルイザは父をコンコードから引き取りました。作家としてのルイザの成功は家族を経済的な苦労から救いましたが、一方で健康を害し、この家を買ったあたりは、さまざまな治療法を試すもよくならず、療養所に入っていたようで、ルイザが住んだといえる時期は本当に短かったでしょう。
ルイザは自分の死期が近いことを悟り、お金を姉や甥達に贈っており、遺書も作っていました。そんな中で、『第四若草物語』を必死に書き上げたのです。これがルイザの最後の作品となりました。

1888年3月1日、ルイザは療養所から、ルイスバーグ・スクエアの父を見舞いに訪れました。これが最後だということは、二人ともわかっていたようです。「天にのぼるのだよ。おまえもすぐにおいで」と父。「ああ、それができたら」とルイザ。ルイザはそのあと毛皮をはおらずに街へ出て、夕方になって熱を出し肺炎をおこしてしまいます。ルイザは意識を失い、そのまま3月6日、あの世へと旅立ちました。父は二日前の3月3日に亡くなっていましたが、そのことを知らないまま、ルイザも天に召されたのです。おまえもすぐにおいで、という父の言葉に、ルイザは導かれたのでしょうか。
ルイザと父は同じ誕生日でした。そして二日違いでこの世を去っています。ルイザと父は、何か強い絆で結ばれていたのかもしれませんね。(実は私も、父と同じ誕生日なんです。でも父は二年前に他界したので、ルイザと同じではありませんが、共通点があることで親近感が)
ルイザはこのルイスバーグ・スクエア10番地で亡くなった、と書いてあるサイトもあるのですが、療養所に運ばれてそこで亡くなった、とも考えられます。
いずれにせよ、ルイザは55歳という若さで亡くなりました。書きたいこと、やりたいこと、たくさんあったことでしょう。
私もルイザが亡くなった年齢に近づいてきました。今年は大きな病気も経験し、さまざまなことをいやがおうにも考え、見直し、生きています。ルイザの人生がぐっと胸に響きました。悔いのない生き方をしていかなければ、と改めて思います。

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その12(ボストン観光)

6月15日(土) 晴れ
今日は丸一日、フリーデーです! 私のツアーは必ず一日フリーを入れさせていただいています。自分が行きたいところへ、自分の足で行ってみる、自分の足で歩いてみると、ツアーがさらに思い出深いものになると思うからです。
参加者さんは、オプショナルツアーに参加されたり、自分の行きたい場所をピックアップして上手にスケジュールを組んでいる方、いろいろでした。
私自身は、ボストンは初めてなので、やはり観光の定番を以下のように組みました。

ボストン公共図書館→ ビーコン・ヒル→ ボストン・パブリックガーデン&ボストン・コモン→ クインシーマーケット→ ボストン・ティーパーティ・ミュージアム→ イザベラ・スチュアート美術館

宿泊しているシェラトン・ホテルはEラインの「プルデンシャル駅」と、B・C・Dラインの「ハインズ・コンベンションセンター駅」と、どちらにも近く、地下鉄の本数ではハインズ・コンベンションセンター駅のほうが多いというので、今日はハインズ・コンベンションセンター駅から出発。
ホテルからまっすぐ行けば駅に着くと思ったのですが、見当たらず、迷ってニューベリー・ストリートに出てしまいました。あらあら、なんだかとってもオシャレな通りです。

犬の散歩をしていた女性に道を尋ね、無事に駅へ行けました。乗る度に切符を買うのが面倒なので一日券を購入。


ボストンの地下鉄は古いんですよね。ガタガタと揺れて、駅に着く前にも時々止まります(^^; 階段をあがってちょっと高くなっている座席と、低いところにある座席とあり、不思議なつくりです。

「コープリー駅」で降り、最初の目的地・ボストン公共図書館へ。コープリー駅を出るとすぐに目に入る、オールド・サウス・ミーティングハウス。1729年に完成した教会ですが、ミーティングハウス(集会所)という名前がついているのは、イエス・キリストの名のもとに集う、ただの集まり、という意味があるようです。1773年12月に、ボストン・ティーパーティ事件の集会が行なわれたことで知られ、当時ボストン市内で最大の建物だったこの集会所には5千人以上が集まったとか…。すごい!


その集会所の向かいにあるのが、ボストン公共図書館。石造りの重厚な建物で、日本人の感覚ではとても図書館とは思えませんね。アメリカで一番古い公立図書館とのこと。公共の施設ですから、誰でも入れて、フラッシュをたかなければ撮影も可能。


これが入り口。びびります(笑) 撮影していいですか、と念のため確認。


入り口を抜けていくと、この階段が現れ、登っていくとまさに美術館のような美しい建築美が飛び込んできます。

この旧館は、1895年に建てられた、イタリア・ルネッサンス様式の建物で、メトロポリタン美術館の建設も手がけたマッキム・ミード&ホワイトの設計だそうです。階段、壁、柱といたるところに使われている大理石は全てイタリア産だとか!!!

階段を上った二階のこの壁画は、とフランス人画家ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌが手がけたそうです。倉敷の大原美術館にも彼の絵が所蔵されていて、そこには「19世紀後半のフランスにおけるほとんど唯一人の、真の意味での壁画装飾家であった」と書かれています。


旧館と新館の間にある中庭。勉強したり本を読んだり、くつろぐ人々の姿がありました。こんな空間に一日いられるなんて、なんて贅沢なんでしょう。


二階の閲覧室。天井が高い!!そして、美しい!!私、一日いられます!!


2階右奥の部屋。このホール(?)の壁画はアメリカ人画家エドウィン・オースティン・アビーによるもの。ジョン・シンガー・サージェントとも交流があり、アビーの死で完成できなかった壁画をサージェントが引き継いで完成させたこともあるそうです。3階にはそのサージェントの壁画があるそうですが、それは知らずに出てきてしまいました( ;∀;) またリベンジしなくちゃ。

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その11(ボストン美術館)

ボストン郊外から、ずっと田舎のほうを観光していたので、ボストンに近づくにつれて、おお~~都会だ~~~!!という感動ひとしお(^^;

ボストンは、ボストン・コモンという公園を中心とする観光エリアは、歩くことができるコンパクトな町であることや、ダンキン・ドーナツやミスター・ドーナツはボストン発祥の店であることや、ボストンは民主党支持が多いのでトランプ大統領の政治には関心がないことなどなど、いろいろバスの中でお話をうかがいました。
二泊お世話になる「シェラトン・ボストン」には3時過ぎに到着。このあとは自由時間なのですが、全員、ボストン美術館に行きたいというので、ガイドさんに少し残っていただき、最寄りの「プルデンシャル」駅まで一緒に行ってもらい、地下鉄の乗り方、切符の買い方(現金、クレジットカード両方)をご教授いただきました。一乗車均一で2・50ドル。私の故郷・仙台の地下鉄も高いけど、さらに上をいっている(◎_◎;) ま、均一なので、遠くまで移動するならお得ともいえますね。
ボストン美術館の最寄り駅まで、駅3つ。道も一本道だし、歩いても20~25分とのこと。(でも私は帰りはやっぱり電車に乗っちゃいました(^^ゞ)


入場券(25ドル)を全員買って、入場したら、あとはフリーです。日本語の案内があるので助かりました。夕食もそれぞれお好きに、ということで、解散。


中央のロタンダ(円形広間)の美しさに、釘付け。


中央のカフェ。左側にロートレックの看板が見えます。ロートレックの特別展が地下で開催されていました。ここを通り過ぎて…


入ってきた口とは反対側のフェンウェイ口へ出ます。明るいうちに「天心園」を見たかったからです。


緑が美しい小道を歩いて、天心園に到着。


世界でも有数の日本美術のコレクションを持つボストン美術館には、広さが1000平方メートルもの日本庭園があります。老朽化が進んでいたため、日本テレビが支援して全面改修し、2015年にリニューアルオープン。


この枯山水の庭園は、明治・大正時代の思想家・岡倉天心が日本から運んだ灯籠や石塔のほか、アメリカ各地から取り寄せた植物が使用されているとのこと。日本とアメリカの合作(?)なんですね。誰もいなかったこともあり、アメリカのボストンにいるとは思えない、静かなで心落ち着く空間でした。

美術館へ戻り、いよいよ鑑賞スタート。あまり詳しく展示内容を調べてこなかったのですが、美術館の案内には”お時間が限られている方は、当館の12のハイライト作品をご覧ください”と、見逃してはならない作品の写真と場所がしっかりと書いてありました。これは助かります。
私は一階から上へあがっていくルートで、東側(アベニュー・オブ・アーツ)を攻めました!こちらのボストン美術館は、うれしいことに、フラッシュを使用しなければ撮影OK!!私はたくさんの作品を見ると、頭がショートして、何が何だかわからなくなってしまうので、気に入った作品を忘れないように写真に撮っておけるのは本当にうれしい。


12のハイライトのひとつ。トーマス・サリー作のジョージ・ワシントン。


これ、モールス電信機を発明したあのモールスが、1824年に描いた絵「Little Miss Hone」。モールスは画家としてのキャリアも積んだんだそうです。知らなかった!


通路や、トイレの前にも、無造作に(というわけではないでしょうが(^^;)、すごい作品が並んでいる!!!しかも、ガラスに入ってない!!こんなところからも、美術作品がすごく身近にある、特別に気負って見るんじゃなくて生活の中に自然にあるっていうことを感じさせてくれます。


二階への階段。ここ、通ってよろしいんでしょうか???(笑)

階段をのぼったところ、二階の回廊。う、美しい…。建物を見ているだけでも涙が出そう。


ヴィクトリア朝の、これでもか!!!っていうくらいにごてごてと飾り立てていた邸内を復元。右にある背の高い時計はティファニーが依頼を受けて作ったものだそうです。


↑写真右下の絵画はエル・グレコ。12のハイライトのひとつ。


ジョン・シングルトン・コープリー作の『ポール・リビア』(1768年)。彼は優れた銀細工の職人で、上の絵でも銀器を手にしていますね。彼が有名になったのは、アメリカ独立戦争時、イギリス軍の監視を続け、レキシントン・コンコードの戦いの前夜、伝令役として真夜中に走り回ったから。イギリス軍はコンコードにいる、独立運動の指導者ジョン・ハンコックとサミュエル・アダムズを逮捕しようと行軍を進めており、リビアは真夜中にそれを伝えるべく危険な状況の中、馬を走らせたのです。リビアほか3人の伝令が警告を伝えたおかげで、コンコードでは民兵がイギリス兵に反撃する用意ができたということです。
ただ、存命中はさほど話題にはならず、死後40年以上経った1841年、詩人のヘンリー・ワーズワース・ロングフェローが「ポール・リビアの騎行」という詩を作ったことで有名になったそうです。コープリーの肖像画は1768年に描かれているので、独立戦争が起こるだいぶ前。 伝令役としてのリビアではなく、銀細工職人として成功していた33歳のリビアを描いたもの。
ちなみに、地下鉄駅の「コープリー」は、この画家の名が取られています。
コープリーだけでなく、ジョン・シンガー・サージェント、フランク・ウェストン・ベンソンなど、アメリカ人の画家の絵にも興味を惹かれました。


モネ・ギャラリー。ここは外せない、人気のお部屋。ぜーんぶ、モネの作品!誰もいない…独り占め!!!こんな贅沢、ありますか!!!
モネの睡蓮は、12のハイライトのひとつ。新婚旅行でパリを訪ねた際、オランジュリー美術館の、モネの睡蓮の部屋に行ったのを思い出します。ここにあるのはあそこまで大きな睡蓮の絵ではなけれど、睡蓮の絵は一つとして同じじゃないので、しばし、見入ってました。もう一つ、ひときわ大きくて目立つ、着物を着た踊り子の絵も有名ですよね。当時流行したジャポニスムを感じることができます。

もっともっと気に入った写真をお見せしたいけれど切りがないのでこのへんで(;^_^A 9時まで堪能した時点ですでに3時間以上が経過。疲れてしまったので、西側はまったく見ないまま、ホテルへ戻りました。買っておいたフルーツと、日本から持って行ったおかゆが夕食(外で食べる気力はもうなかった)。ボストン美術館をいつか再訪し、見残したところや、お気に入りの絵をじっくりまた見たいです♪

ニューイングランドツアー日記 その10(オールド・スターブリッジ・ビレッジ)

先回(https://mikiokuda.com/2019/07/08/americatour9/)の続きで「オールド・スターブリッジ・ビレッジ」を訪ねたお話です。


中央に芝生広場が広がる中心部に来ると、野球のようなスポーツを楽しむスタッフたちが。ドレス姿では動き回りづらそう…。ドレスを手で持ち上げて走らないと、つっかかって転んじゃうものね。


こちらは当時の銀行。当時の紙幣やコインについて説明していました。


銀行の隣のベイクショップが、お土産店も兼ねています。オリジナルのジャムやロウソクなど、かわいいものがいろいろありました。私もいくつか買っちゃいました。


これは、当時のレシピで作られたというチョコレート。布の入れ物もかわいらしくて。スパイスが効いた、甘さ控えめの好みの味でした♪


出口のところにあるハーブ・ガーデン。医薬がなかった当時、ハーブは薬としても用いられ、食事にも使われるなど、生活には欠かせないものでした。こちらには、ニューイングランドのネイティブ・アメリカン、あるいはニューイングランドに移民してきた人々が親しんだ”古くて価値のある”ハーブ400種類が育てられています。
医者の資格が必要なかった当時、独学で医者になったサミュエル・トムソンのパネルもありました。トムソンはネイティブ・アメリカンのハーブ利用法を学び、自然主義医学のハーブ療法を確立させました。”その土地の、誰もが手が届く場所に、あらゆる疾患に効く薬が十分に存在する”と、植物医学を唱え、トムソニアン(トムソン式治療法)は人気を得ました。彼が出したハンドブックは何版も重ねたそうです。
アロマの資格を一応(笑)持っている私。ハーブティーを含め、植物療法にはとても興味があります。

まだ見ていない部分が残っていましたが、ランチの待ち合わせ時刻になったので、ビレッジ内のレストランへ。

みなさんはチキンポットパイを召し上がり、私は↑ベジタリアン・バーガー。これがとってもおいしかった!


デザートは数種類を数人でシェアしました。一口ずつ、ご相伴にあずかりました、相変わらずの甘さでした(;^_^A

食事のあとは、ショッピングタイム。私は見残した施設が心残りなので、見に行ってきました。

ターシャのお気に入りのビレッジ、私もとても気に入りました♪ターシャはあの姿でここへ来たでしょうから、まったく違和感なかったでしょうね(^^; スタッフと間違われたこともあったでしょう。私も今日は、ちょこっと、レース編みの襟をつけたワンピースを着て、雰囲気に浸っちゃいましたもん(笑)
一日いられるくらい、充実したビレッジでした。まだまだ、もっとゆっくり見たかったのですが、予定より時間を早めて出発することになりました。今日の夜から、ボストンへ二泊します。私を含め、みなさん「ボストン美術館」を今日見学したかった(月~金は夜10時まで開館しており、今日は金曜日でした)ので、できるだけ早くボストンへ入り、広い美術館をゆっくりと見られるようにしたのでした。

のどかな田園地帯をあとにし、一路、ボストンへ!

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その9(オールド・スターブリッジ・ビレッジ)

6月14日(金)晴れ
ブラトルボロで泊まったホテルは「ハンプトン・イン・ブラトルボロ」。ウェルカムチーズが用意されていたり、ホテル一階にはコーヒーや紅茶などたくさんの飲み物が並び好きなように飲めるようになっているコーナーがあり、なかなか考えられていました。昨日は、中華レストランでの夕食後、みんなで一階のソファに座り、好きな飲み物を持ってきて、興奮さめやらぬターシャの家や庭の話で数時間、盛り上がりました(≧▽≦)

朝食はブッフェスタイル。ワッフルメーカーがあり、スタッフの方からワッフルの焼き方を教えてもらって、バーモント州のメイプル・シロップをかけていただきました♪ 焼き立てもあって、すごくおいしかったです!スタッフの方はフィリピンから来られたとのことで、同じアジアですね!と意気投合♪

今日は、昨日の雨がうそのようによく晴れました。ターシャが好きだった歴史村「オールド・スターブリッジ・ビレッジOld Sturbridge Village」へと向かいます。


向かう途中にはこんな素敵な景色が広がっていました。秋はこれらの木々が紅葉し、ドライブが楽しいそうですよ。


ビレッジの入り口には、こんなにたくさんの国旗が。5月最終月曜(2019年は5月27日)が「戦没者追悼の日Memorial Day」だったので、そのための追悼国旗ではないか、とのこと。もともとは多くの血が流れた南北戦争の戦没者を追悼する日でしたが、現在はすべての戦争で亡くなった兵士たちを称え追悼する日なんだそうです。

でも、私たちが訪ねた6月14日が、ちょうど「国旗記念日Flag Day」だったので、それかもしれません。1777年のこの日、「星条旗」が正式にアメリカ合衆国の国旗と定められました。アメリカが独立宣言を行った頃の旗にはイギリスの国旗が入っていましたが、独立戦争で戦った相手の国の国旗が旗に入っていては国民の士気に影響するということで、ワシントンらがフィラデルフィアの旗作り職人ベッツイ・ロスに依頼し、星条旗ができあがったんだそうです。第28代大統領ウィルソンがこの日を国民の祝日としたそうで、私は平日だと思っていましたが、この日は祝日だったんですね!

星条旗の星は、独立時の13個から、連邦に州が加わるたびに増やされて現在に至っており、その度に、次の独立記念日に配置が変更される(初期を除く)。このため、星条旗は世界で最も変更回数の多い国旗だが、現在の「50星」デザインはハワイが州に昇格した翌年の1960年から続いており、2007年7月4日にはこれまでの「48星」の47年間を抜いて最も長い期間使われているデザインとなった。(Wikipedia)

スタッフの人が当時の洋服を着て、当時の暮らしを実演して見せてくれるのが特徴。実際に畑を耕し、家畜も飼っているため、その世話や、乳搾りなども、スタッフがしています。どこで何をデモンストレーションしているかは、パンフレットにちゃんと記載されているのでわかりやすいです。

建物は、新しく建てたものではなく、古い建物を移築してあるので、それぞれの建物が、どこからもってきて、何年に建てられて…というプロフィールも知ることができます。古い建物が大好きな私には、たまりません!!


これが夕食で…


これが朝食。蝋でできたものではなく、本当に調理したものでした!


ターシャの庭にもいた、堂々としたオスの鶏。こんなにまじかで見たことなかったな…(笑)

このような歴史村はアメリカのあちこちにありますが、ここは、ニューイングランドでは最大の、19世紀の暮らしを肌で感じることができる歴史村で、小学生たちが社会科見学に来ることも多いそう。この日もたくさんの小学生が来ていました。活気があり、19世紀のアメリカにタイムトリップしたかのよう。

見学時間は約2時間たっぷりとり、自由行動です。
ガイドさんから、まずは一番奥まで行ってしまい、そこから入り口に向かって見学するのがいいですよ、とアドバイスされたので、一番奥へと向かいました。最初の建物から見てしまうと、あとで時間切れになってしまい、奥の建物が見れなくなることが多いそうで、確かにそうだな、と思いました。


私の大好きな「タータン(チェック)」は、もともと羊毛から作られる布地。どうしても羊毛関係には反応してしまいます(^^; こちらは、水車の水力を利用した、羊毛を梳く機械。


こちらは水力を利用した小麦挽きの様子。


横には水車がちゃんとあります。


カバード・ブリッジもありました!


こちらのカバード・ブリッジは、車道と歩道が分かれていませんね。

旅行記はつづく