ニューイングランドツアー日記 その12(ボストン観光)

6月15日(土) 晴れ
今日は丸一日、フリーデーです! 私のツアーは必ず一日フリーを入れさせていただいています。自分が行きたいところへ、自分の足で行ってみる、自分の足で歩いてみると、ツアーがさらに思い出深いものになると思うからです。
参加者さんは、オプショナルツアーに参加されたり、自分の行きたい場所をピックアップして上手にスケジュールを組んでいる方、いろいろでした。
私自身は、ボストンは初めてなので、やはり観光の定番を以下のように組みました。

ボストン公共図書館→ ビーコン・ヒル→ ボストン・パブリックガーデン&ボストン・コモン→ クインシーマーケット→ ボストン・ティーパーティ・ミュージアム→ イザベラ・スチュアート美術館

宿泊しているシェラトン・ホテルはEラインの「プルデンシャル駅」と、B・C・Dラインの「ハインズ・コンベンションセンター駅」と、どちらにも近く、地下鉄の本数ではハインズ・コンベンションセンター駅のほうが多いというので、今日はハインズ・コンベンションセンター駅から出発。
ホテルからまっすぐ行けば駅に着くと思ったのですが、見当たらず、迷ってニューベリー・ストリートに出てしまいました。あらあら、なんだかとってもオシャレな通りです。

犬の散歩をしていた女性に道を尋ね、無事に駅へ行けました。乗る度に切符を買うのが面倒なので一日券を購入。


ボストンの地下鉄は古いんですよね。ガタガタと揺れて、駅に着く前にも時々止まります(^^; 階段をあがってちょっと高くなっている座席と、低いところにある座席とあり、不思議なつくりです。

「コープリー駅」で降り、最初の目的地・ボストン公共図書館へ。コープリー駅を出るとすぐに目に入る、オールド・サウス・ミーティングハウス。1729年に完成した教会ですが、ミーティングハウス(集会所)という名前がついているのは、イエス・キリストの名のもとに集う、ただの集まり、という意味があるようです。1773年12月に、ボストン・ティーパーティ事件の集会が行なわれたことで知られ、当時ボストン市内で最大の建物だったこの集会所には5千人以上が集まったとか…。すごい!


その集会所の向かいにあるのが、ボストン公共図書館。石造りの重厚な建物で、日本人の感覚ではとても図書館とは思えませんね。アメリカで一番古い公立図書館とのこと。公共の施設ですから、誰でも入れて、フラッシュをたかなければ撮影も可能。


これが入り口。びびります(笑) 撮影していいですか、と念のため確認。


入り口を抜けていくと、この階段が現れ、登っていくとまさに美術館のような美しい建築美が飛び込んできます。

この旧館は、1895年に建てられた、イタリア・ルネッサンス様式の建物で、メトロポリタン美術館の建設も手がけたマッキム・ミード&ホワイトの設計だそうです。階段、壁、柱といたるところに使われている大理石は全てイタリア産だとか!!!

階段を上った二階のこの壁画は、とフランス人画家ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌが手がけたそうです。倉敷の大原美術館にも彼の絵が所蔵されていて、そこには「19世紀後半のフランスにおけるほとんど唯一人の、真の意味での壁画装飾家であった」と書かれています。


旧館と新館の間にある中庭。勉強したり本を読んだり、くつろぐ人々の姿がありました。こんな空間に一日いられるなんて、なんて贅沢なんでしょう。


二階の閲覧室。天井が高い!!そして、美しい!!私、一日いられます!!


2階右奥の部屋。このホール(?)の壁画はアメリカ人画家エドウィン・オースティン・アビーによるもの。ジョン・シンガー・サージェントとも交流があり、アビーの死で完成できなかった壁画をサージェントが引き継いで完成させたこともあるそうです。3階にはそのサージェントの壁画があるそうですが、それは知らずに出てきてしまいました( ;∀;) またリベンジしなくちゃ。

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その11(ボストン美術館)

ボストン郊外から、ずっと田舎のほうを観光していたので、ボストンに近づくにつれて、おお~~都会だ~~~!!という感動ひとしお(^^;

ボストンは、ボストン・コモンという公園を中心とする観光エリアは、歩くことができるコンパクトな町であることや、ダンキン・ドーナツやミスター・ドーナツはボストン発祥の店であることや、ボストンは民主党支持が多いのでトランプ大統領の政治には関心がないことなどなど、いろいろバスの中でお話をうかがいました。
二泊お世話になる「シェラトン・ボストン」には3時過ぎに到着。このあとは自由時間なのですが、全員、ボストン美術館に行きたいというので、ガイドさんに少し残っていただき、最寄りの「プルデンシャル」駅まで一緒に行ってもらい、地下鉄の乗り方、切符の買い方(現金、クレジットカード両方)をご教授いただきました。一乗車均一で2・50ドル。私の故郷・仙台の地下鉄も高いけど、さらに上をいっている(◎_◎;) ま、均一なので、遠くまで移動するならお得ともいえますね。
ボストン美術館の最寄り駅まで、駅3つ。道も一本道だし、歩いても20~25分とのこと。(でも私は帰りはやっぱり電車に乗っちゃいました(^^ゞ)


入場券(25ドル)を全員買って、入場したら、あとはフリーです。日本語の案内があるので助かりました。夕食もそれぞれお好きに、ということで、解散。


中央のロタンダ(円形広間)の美しさに、釘付け。


中央のカフェ。左側にロートレックの看板が見えます。ロートレックの特別展が地下で開催されていました。ここを通り過ぎて…


入ってきた口とは反対側のフェンウェイ口へ出ます。明るいうちに「天心園」を見たかったからです。


緑が美しい小道を歩いて、天心園に到着。


世界でも有数の日本美術のコレクションを持つボストン美術館には、広さが1000平方メートルもの日本庭園があります。老朽化が進んでいたため、日本テレビが支援して全面改修し、2015年にリニューアルオープン。


この枯山水の庭園は、明治・大正時代の思想家・岡倉天心が日本から運んだ灯籠や石塔のほか、アメリカ各地から取り寄せた植物が使用されているとのこと。日本とアメリカの合作(?)なんですね。誰もいなかったこともあり、アメリカのボストンにいるとは思えない、静かなで心落ち着く空間でした。

美術館へ戻り、いよいよ鑑賞スタート。あまり詳しく展示内容を調べてこなかったのですが、美術館の案内には”お時間が限られている方は、当館の12のハイライト作品をご覧ください”と、見逃してはならない作品の写真と場所がしっかりと書いてありました。これは助かります。
私は一階から上へあがっていくルートで、東側(アベニュー・オブ・アーツ)を攻めました!こちらのボストン美術館は、うれしいことに、フラッシュを使用しなければ撮影OK!!私はたくさんの作品を見ると、頭がショートして、何が何だかわからなくなってしまうので、気に入った作品を忘れないように写真に撮っておけるのは本当にうれしい。


12のハイライトのひとつ。トーマス・サリー作のジョージ・ワシントン。


これ、モールス電信機を発明したあのモールスが、1824年に描いた絵「Little Miss Hone」。モールスは画家としてのキャリアも積んだんだそうです。知らなかった!


通路や、トイレの前にも、無造作に(というわけではないでしょうが(^^;)、すごい作品が並んでいる!!!しかも、ガラスに入ってない!!こんなところからも、美術作品がすごく身近にある、特別に気負って見るんじゃなくて生活の中に自然にあるっていうことを感じさせてくれます。


二階への階段。ここ、通ってよろしいんでしょうか???(笑)

階段をのぼったところ、二階の回廊。う、美しい…。建物を見ているだけでも涙が出そう。


ヴィクトリア朝の、これでもか!!!っていうくらいにごてごてと飾り立てていた邸内を復元。右にある背の高い時計はティファニーが依頼を受けて作ったものだそうです。


↑写真右下の絵画はエル・グレコ。12のハイライトのひとつ。


ジョン・シングルトン・コープリー作の『ポール・リビア』(1768年)。彼は優れた銀細工の職人で、上の絵でも銀器を手にしていますね。彼が有名になったのは、アメリカ独立戦争時、イギリス軍の監視を続け、レキシントン・コンコードの戦いの前夜、伝令役として真夜中に走り回ったから。イギリス軍はコンコードにいる、独立運動の指導者ジョン・ハンコックとサミュエル・アダムズを逮捕しようと行軍を進めており、リビアは真夜中にそれを伝えるべく危険な状況の中、馬を走らせたのです。リビアほか3人の伝令が警告を伝えたおかげで、コンコードでは民兵がイギリス兵に反撃する用意ができたということです。
ただ、存命中はさほど話題にはならず、死後40年以上経った1841年、詩人のヘンリー・ワーズワース・ロングフェローが「ポール・リビアの騎行」という詩を作ったことで有名になったそうです。コープリーの肖像画は1768年に描かれているので、独立戦争が起こるだいぶ前。 伝令役としてのリビアではなく、銀細工職人として成功していた33歳のリビアを描いたもの。
ちなみに、地下鉄駅の「コープリー」は、この画家の名が取られています。
コープリーだけでなく、ジョン・シンガー・サージェント、フランク・ウェストン・ベンソンなど、アメリカ人の画家の絵にも興味を惹かれました。


モネ・ギャラリー。ここは外せない、人気のお部屋。ぜーんぶ、モネの作品!誰もいない…独り占め!!!こんな贅沢、ありますか!!!
モネの睡蓮は、12のハイライトのひとつ。新婚旅行でパリを訪ねた際、オランジュリー美術館の、モネの睡蓮の部屋に行ったのを思い出します。ここにあるのはあそこまで大きな睡蓮の絵ではなけれど、睡蓮の絵は一つとして同じじゃないので、しばし、見入ってました。もう一つ、ひときわ大きくて目立つ、着物を着た踊り子の絵も有名ですよね。当時流行したジャポニスムを感じることができます。

もっともっと気に入った写真をお見せしたいけれど切りがないのでこのへんで(;^_^A 9時まで堪能した時点ですでに3時間以上が経過。疲れてしまったので、西側はまったく見ないまま、ホテルへ戻りました。買っておいたフルーツと、日本から持って行ったおかゆが夕食(外で食べる気力はもうなかった)。ボストン美術館をいつか再訪し、見残したところや、お気に入りの絵をじっくりまた見たいです♪

ニューイングランドツアー日記 その10(オールド・スターブリッジ・ビレッジ)

先回(https://mikiokuda.com/2019/07/08/americatour9/)の続きで「オールド・スターブリッジ・ビレッジ」を訪ねたお話です。


中央に芝生広場が広がる中心部に来ると、野球のようなスポーツを楽しむスタッフたちが。ドレス姿では動き回りづらそう…。ドレスを手で持ち上げて走らないと、つっかかって転んじゃうものね。


こちらは当時の銀行。当時の紙幣やコインについて説明していました。


銀行の隣のベイクショップが、お土産店も兼ねています。オリジナルのジャムやロウソクなど、かわいいものがいろいろありました。私もいくつか買っちゃいました。


これは、当時のレシピで作られたというチョコレート。布の入れ物もかわいらしくて。スパイスが効いた、甘さ控えめの好みの味でした♪


出口のところにあるハーブ・ガーデン。医薬がなかった当時、ハーブは薬としても用いられ、食事にも使われるなど、生活には欠かせないものでした。こちらには、ニューイングランドのネイティブ・アメリカン、あるいはニューイングランドに移民してきた人々が親しんだ”古くて価値のある”ハーブ400種類が育てられています。
医者の資格が必要なかった当時、独学で医者になったサミュエル・トムソンのパネルもありました。トムソンはネイティブ・アメリカンのハーブ利用法を学び、自然主義医学のハーブ療法を確立させました。”その土地の、誰もが手が届く場所に、あらゆる疾患に効く薬が十分に存在する”と、植物医学を唱え、トムソニアン(トムソン式治療法)は人気を得ました。彼が出したハンドブックは何版も重ねたそうです。
アロマの資格を一応(笑)持っている私。ハーブティーを含め、植物療法にはとても興味があります。

まだ見ていない部分が残っていましたが、ランチの待ち合わせ時刻になったので、ビレッジ内のレストランへ。

みなさんはチキンポットパイを召し上がり、私は↑ベジタリアン・バーガー。これがとってもおいしかった!


デザートは数種類を数人でシェアしました。一口ずつ、ご相伴にあずかりました、相変わらずの甘さでした(;^_^A

食事のあとは、ショッピングタイム。私は見残した施設が心残りなので、見に行ってきました。

ターシャのお気に入りのビレッジ、私もとても気に入りました♪ターシャはあの姿でここへ来たでしょうから、まったく違和感なかったでしょうね(^^; スタッフと間違われたこともあったでしょう。私も今日は、ちょこっと、レース編みの襟をつけたワンピースを着て、雰囲気に浸っちゃいましたもん(笑)
一日いられるくらい、充実したビレッジでした。まだまだ、もっとゆっくり見たかったのですが、予定より時間を早めて出発することになりました。今日の夜から、ボストンへ二泊します。私を含め、みなさん「ボストン美術館」を今日見学したかった(月~金は夜10時まで開館しており、今日は金曜日でした)ので、できるだけ早くボストンへ入り、広い美術館をゆっくりと見られるようにしたのでした。

のどかな田園地帯をあとにし、一路、ボストンへ!

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その9(オールド・スターブリッジ・ビレッジ)

6月14日(金)晴れ
ブラトルボロで泊まったホテルは「ハンプトン・イン・ブラトルボロ」。ウェルカムチーズが用意されていたり、ホテル一階にはコーヒーや紅茶などたくさんの飲み物が並び好きなように飲めるようになっているコーナーがあり、なかなか考えられていました。昨日は、中華レストランでの夕食後、みんなで一階のソファに座り、好きな飲み物を持ってきて、興奮さめやらぬターシャの家や庭の話で数時間、盛り上がりました(≧▽≦)

朝食はブッフェスタイル。ワッフルメーカーがあり、スタッフの方からワッフルの焼き方を教えてもらって、バーモント州のメイプル・シロップをかけていただきました♪ 焼き立てもあって、すごくおいしかったです!スタッフの方はフィリピンから来られたとのことで、同じアジアですね!と意気投合♪

今日は、昨日の雨がうそのようによく晴れました。ターシャが好きだった歴史村「オールド・スターブリッジ・ビレッジOld Sturbridge Village」へと向かいます。


向かう途中にはこんな素敵な景色が広がっていました。秋はこれらの木々が紅葉し、ドライブが楽しいそうですよ。


ビレッジの入り口には、こんなにたくさんの国旗が。5月最終月曜(2019年は5月27日)が「戦没者追悼の日Memorial Day」だったので、そのための追悼国旗ではないか、とのこと。もともとは多くの血が流れた南北戦争の戦没者を追悼する日でしたが、現在はすべての戦争で亡くなった兵士たちを称え追悼する日なんだそうです。

でも、私たちが訪ねた6月14日が、ちょうど「国旗記念日Flag Day」だったので、それかもしれません。1777年のこの日、「星条旗」が正式にアメリカ合衆国の国旗と定められました。アメリカが独立宣言を行った頃の旗にはイギリスの国旗が入っていましたが、独立戦争で戦った相手の国の国旗が旗に入っていては国民の士気に影響するということで、ワシントンらがフィラデルフィアの旗作り職人ベッツイ・ロスに依頼し、星条旗ができあがったんだそうです。第28代大統領ウィルソンがこの日を国民の祝日としたそうで、私は平日だと思っていましたが、この日は祝日だったんですね!

星条旗の星は、独立時の13個から、連邦に州が加わるたびに増やされて現在に至っており、その度に、次の独立記念日に配置が変更される(初期を除く)。このため、星条旗は世界で最も変更回数の多い国旗だが、現在の「50星」デザインはハワイが州に昇格した翌年の1960年から続いており、2007年7月4日にはこれまでの「48星」の47年間を抜いて最も長い期間使われているデザインとなった。(Wikipedia)

スタッフの人が当時の洋服を着て、当時の暮らしを実演して見せてくれるのが特徴。実際に畑を耕し、家畜も飼っているため、その世話や、乳搾りなども、スタッフがしています。どこで何をデモンストレーションしているかは、パンフレットにちゃんと記載されているのでわかりやすいです。

建物は、新しく建てたものではなく、古い建物を移築してあるので、それぞれの建物が、どこからもってきて、何年に建てられて…というプロフィールも知ることができます。古い建物が大好きな私には、たまりません!!


これが夕食で…


これが朝食。蝋でできたものではなく、本当に調理したものでした!


ターシャの庭にもいた、堂々としたオスの鶏。こんなにまじかで見たことなかったな…(笑)

このような歴史村はアメリカのあちこちにありますが、ここは、ニューイングランドでは最大の、19世紀の暮らしを肌で感じることができる歴史村で、小学生たちが社会科見学に来ることも多いそう。この日もたくさんの小学生が来ていました。活気があり、19世紀のアメリカにタイムトリップしたかのよう。

見学時間は約2時間たっぷりとり、自由行動です。
ガイドさんから、まずは一番奥まで行ってしまい、そこから入り口に向かって見学するのがいいですよ、とアドバイスされたので、一番奥へと向かいました。最初の建物から見てしまうと、あとで時間切れになってしまい、奥の建物が見れなくなることが多いそうで、確かにそうだな、と思いました。


私の大好きな「タータン(チェック)」は、もともと羊毛から作られる布地。どうしても羊毛関係には反応してしまいます(^^; こちらは、水車の水力を利用した、羊毛を梳く機械。


こちらは水力を利用した小麦挽きの様子。


横には水車がちゃんとあります。


カバード・ブリッジもありました!


こちらのカバード・ブリッジは、車道と歩道が分かれていませんね。

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その8(ターシャ・テューダーの庭)

ランチ後、いよいよ、ターシャの家と庭へ!!! この頃には、セスさん、エイミーさんのほか、ウィンズローさん、セスさんの奥さんのマージョリーさん、エイミーさんの二人のお嬢さんも出てきてくださって、ツアーのみなさん、大興奮(≧▽≦)

わかってはいても残念だったのは、ターシャの家も庭も、写真撮影が禁止されていること。荷物を全部預けてから、小道を通ってターシャの家へと向かいました。家の中は、二手に分かれて、違う方向から見学し、最後に庭で合流するように計画されていました。私はセスさんのご案内で、もう一つのグループはセスさんの奥様のマージョリーさんのご案内です。
セスさんが日本語を話すとは聞いていましたが、案内も、流ちょうな日本語でスラスラとやられるのでびっくりしました。ただ、説明を暗記しているだけのようです。単語はわかるようですが、日本語で質問してもわからない感じです。英語で質問するのですが、セスさんの頭の中は説明する日本語を思い出すのに必死のようで、ほぼ、一方的に説明をしてくださっている状態でした。もちろん、それはとてもありがたいことなんです、でも聞きたいこともいっぱいあったんですが(^^;

NHKの、ターシャの番組や、買ったDVDを何度も観ているので、家の中の様子はわかっていても、実際の奥行き感や、大きさ、生活感、ターシャの暮らした片りんなどは、行ってみて感じことがいろいろあります。写真が撮れないので、みなさん、目をこらして、しっかりと記憶にインプットしていました(もちろん、私もです。とはいえ、どれだけ長く覚えていられるかは微妙なんですが…最近記憶力の低下が…)。

セスさんはとても丁寧に、この部屋がこの絵に描かれたんだよ、とか、ターシャが電話のまわりの壁に忘れないようにメモしていたこととか、一つ一つの部屋やおいてあるものを説明してくれました。一番の感動はやはり、ターシャのアトリエ。ここで絵を描いていたんだな~と、そのまま残っている画材などを見ながら、しみじみと感傷に浸ったりして。お亡くなりになった寝室は、両側に窓がある明るい部屋で、窓から庭を眺めたりもしていたのかな。亡くなる前一年くらいは、ほぼ寝たきりだったそうです…。

よくテレビに出てくる入り口のポーチも、あ、ここで紅茶飲んでた!!花を飾ってた!!と、動いているターシャを思い出して、感動! オスの鶏が、立派な風体でこっちを見てました。いや~絵になる…。

ターシャは1972年から、亡くなる2008年まで、36年間、ここに住み、たくさんの作品を世に送り出し、庭をつくりあげ、家族やお客様をもてなしていたんですね。

家の中の見学が終わり、庭に出たころには雨があがりました。今年は冬の寒さが長引いたらしく、ターシャが”輝きの季節”と表現した6月でも、花は、シャクナゲが咲いているくらいで、あとは全然、咲いていませんでした…((+_+)) 期待していただけに、がっかりですが、天候や暑さ寒さは仕方がありませんね。

ターシャは、自分が亡くなったら庭は自然に返そうと思う、と言っていたけれど、手入れをしなくなると庭というのはあっという間に野生になってしまうので、見かねた家族が少しずつ手は入れているようです。でも、ここに住んでいるわけではないので毎日手入れはできないでしょう。実際、全体的にボウボウの庭になっていたのはいなめません。
これからこの家と庭がどうなっていくのか…。自然に返さず、今後もファンに公開していくのであれば、家族だけではおそらく無理なので、ナショナルトラストのような団体にお任せするのも一案なのではないかと、思ったりしました。
せっかく、絵本の舞台にもなった、ターシャの思い入れが詰まった家と美しい庭があるのだから、ファンとしては、これを維持していってほしいと思うのです。ビアトリクス・ポターのヒルトップ農場のように。

家と庭の見学を終えたあとは、ショッピングタイム。ランチのために出ていたテーブルはなくなり、中はスッキリ。あれもこれも、どれも欲しい(笑)のを抑えて、みなさん、お気に入りをたくさんセレクトされていました。

私は絵はがき、カード、種、そして紅茶。ターシャのウェルシュ・ブレンド。ターシャが使っていた茶器のイラストがラベル♪♪これはお茶好きにはたまりません~。
ターシャは、ガーデナーとして有名になる前に、絵本作家として成功しました。絵本を自分で作るだけでなく、『マザーグース』や『秘密の花園』といった名作の挿画も手掛けました。『若草物語』の挿絵も描いているんですよね!それがまたとっても素敵なんです。


福音館書店の「福音館古典童話シリーズ」です!1985年の出版と、だいぶ古いので今は文庫になっていますが、この豪華本のカラーの表紙イラストが私のお気に入り。
オルコットのオーチャード・ハウスで、以前はターシャの挿画の『若草物語』(英語版なので原題はLittle Womenですが)が売っていたそうですが、今はもうないようです。

最後は事務所の前で記念撮影。サインにも、快く応じていただき、私もみなさんも、胸がいっぱい!大満足で帰路につきました。

明日は、ターシャが好きでよく訪ねていたという歴史村「オールド・スターブリッジ・ビレッジ」を訪ねるので、今日は、近くのブラトルボロのホテルに泊まります。

その前に、カバード・ブリッジCovered Bridge(屋根付きの橋)に立ち寄ってもらいました。屋根付きの橋は、世界中にありますが、私はまだ実物を見たことがなかったんです。
なぜ橋に屋根をつけたのかというと、初期の古い橋は木造だったので、その腐食や劣化を防ぐため、雨風や雪、凍結を防ぐため、景観のため、など、理由はいろいろです。屋根をつけることで、寿命を80年以上伸ばせることもあるそう。

映画『マディソン郡の橋』で、二人が出会うきっかけになったのが、屋根付きの橋。クリント・イーストウッド演じるカメラマンのロバートが、屋根付きの橋を写真に収めたくて訪れたものの、迷って、メリル・ストリープ演じるフランチェスカに道を尋ねたことから、二人の恋が始まります。
フランチェスカには夫と子どもがおり、ロバートと一緒に飛び出してはいきませんでした。わずか4日間の燃える恋。アンハッピーエンドのお話ですが、気持ちの上では二人は結ばれているのでした。

立ち寄ってもらったのは「クリーマリー・カバード・ブリッジCreamery Covered Bridge)」。1879年に建設され、修復を経て、現在に至ります。ブラトルボロの町で、唯一、当時の姿をとどめる木製のカバードブリッジです。

橋の長さは約24メートル、幅約6メートルで。車が通る部分と人が通る部分とがきちんと分かれています(危なくなくていいですね)。車道部分の幅は約4・5メートル、人が通る部分は約1・5メートル。

ホテルに行く前に大きなスーパーへ立ち寄り、飲み物などを調達。ここでもお土産品をゲット。スーパーって、楽しいですよね!
夕食は、ホテルのすぐそばの中華レストランでいただきました。雨はすっかりやんでいました。

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その7(ターシャ・テューダーの庭)

6月13日(木)雨

ターシャ・テューダーの庭を訪ねる日。願いは叶わず、この日は朝から雨でした。が、これも神様のおはからい。現実大肯定。
ボストンのあるマサチューセッツ州から、隣りのバーモント州へと向かいます。
ニューイングランドというのは、アメリカ北東部の6州(メイン州、ニューハンプシャー州、バーモント州、マサチューセッツ州、ロードアイランド州、コネティカット州)の総称なんだそうです。
1614年ロンドンの商人数人が渡来し、そのときの船長ジョン・スミスが「ニューイングランド」と名づけたと、事典にあります。
「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれる清教徒たちがメイフラワー号でアメリカにたどり着いたのは1620年。それ以降、フランス人、ドイツ人なども移住しました。

ターシャ・テューダーの庭は、ターシャが、住みたかったバーモント州で縁あって1971年に購入した約30万坪(東京ドーム約20個分!)という広さの土地にあります。家と納屋は、新たに建てるものの、古く見えるようにしてほしいというターシャの願いを聞いて、息子のセスさんが建てたんだそうです。ターシャは、自身がなぜか惹かれる1830年代の暮らしを実践していたので、それに調和する古さのある家が欲しかったというのは納得できますね。
通称「コーギー・コテッジ」。
ウェルシュ・コーギーが主人公の絵本をターシャは何冊か出版していますが、自分の家でも飼っていたので、その名前をつけたんですね! そうすると、私の家は「ヨーキー・コテッジ」だわ♪♪名前負けしているふつ~の家だけど(;^_^A

途中、おトイレ休憩を入れて、バスで走ること約3時間。地図で見るとそんなに時間がかかるようには見えませんが、アメリカって本当に広いなあと感じます。

携帯電話の電波が通じないほどの山奥だと、ガイドさん。住所は非公開らしく、以前ご案内したことがあるというガイドさんの記憶と、目印を書いたメモを頼りに、森の中をさまよい、なんとか、到着。傘をさしたセスさんがわかりやすい場所で待っていてくださいました。

バスを降りた途端、蚊がわあ~~~っと寄ってきます。雨なのでまだ少ないほうだとか。私はプリンス・エドワード島での生活で、いくら北の極寒の地域でも、蚊はちゃんと生息していることは経験済み。蚊よけスプレーを持参し、バスの中でみなさんにもお回ししました(笑)

私たちのツアーは、ランチ込みでお願いしていました。着いたのはお昼近くだったので、まずはランチ。当初は外のベンチで、ということでしたが、雨で、肌寒かったためか、家の中にテーブルを用意してくださって、そこでいただけることに。ありがたい!!

この建物は事務所だそうです。大勢のお客様が訪れた時に一旦集まってもらう場所が必要ですし、グッズを販売したりお手洗いなどの施設も必要なので、そのために建てられたようです。

入ってすぐの薪ストーブのあるお部屋に現れたのは、エイミーさん!(ターシャの孫ウィンズローさんの奥様)
NHKの番組で見て知っていても、実際に見ると本当にかわいい!!女優さんみたい!!


サンドイッチやフルーツ、スイーツなどをたっぷり、用意してくださいました。どれもとてもおいしかったです!
グッズ売り場も、とってもかわいらしくて、食べるのもそこそこに、どれを買おうか物色しちゃいました(笑)

旅行記はつづく

ツアー土産を楽しむお茶会♪

今日は7月4日。アメリカの独立記念日ですね。1776年のこの日、イギリスから独立する「独立宣言」が採択されました。
すみませ~ん。私のニューイングランドツアー日記は、一日目が終わったところで止まってしまってます。
体調がよくなかったのと、長くなってしまう詳細な日記(笑)を書くのは時間もかかり…。気長に待っていただけるとありがいです<(_ _)>

ニューイングランドツアー日記は終わっていませんが、お友だちと、ツアー土産を楽しむお茶会をしました!
ラ・アンジュさん(https://www.instagram.com/chihanako5/)のサロンをお借りしての、持ち寄り会。私はスイーツと紅茶担当。

お土産には何がいいですか、とツアーガイドさんに聞きましたら、食べ物なら、クランベリーの生産がさかんなので、クランベリーものと、あとはメイプルシロップ


メイプルシロップは重いので…クランベリーにチョコがかかったスナック菓子をチョイス。クランベリーの酸味とチョコの甘さがベストマッチ♪
クランベリー・チョコレートも買いましたが、こちらは全然クランベリーの味がせず(;_:)おまけにダーク、と書いてあるけど、思いっきり甘い(;^_^A

スーパーで見つけたお菓子”ボストン・クリーム・ロール”は、ボストンって名前が大きく書いてあって、まさにお土産用にぴったりでした(笑)個包装ですし。しか~し!!アメリカのスイーツの甘さに撃沈((+_+))

紅茶は、ターシャ・テューダーの庭見学の際に購入したもの。ターシャが本当にこの紅茶を飲んでいたのかは、聞き忘れました(;^_^A が、きっと飲んでいましたよね!ラベルはターシャが愛用していた茶器で、ターシャの手によるもの。
午後4時になるといつもお茶の時間を取って、紅茶でまったりしていたターシャ。コーヒーじゃなくて紅茶でしたよね。

お茶会しながら、早くツアー日記を仕上げねば、と思った私でした(^-^;

ニューイングランドツアー日記 その6(ネイティック・モール)

フルートランド・ミュージアム」の見学で、今日の予定は終了。「オーチャード・ハウス」「フルートランド・ミュージアム」と、ルイザ・メイ・オルコット一家をたどる、充実した一日でした。
ホテルへ戻り、少し休憩したあと、すぐそばのネイティック・モールへ。19時に予約してある夕食のお店の場所をみんなで確認し、その後19時までフリータイムになりました。
このモールの中にはスーパーもあるので、私はスーパーへ。
ヴィーガンに近い食生活をしている私を気遣って、参加者さんがヴィーガンのコーナーを店員さんに聞いてくれました。アメリカはヴィーガンへの気遣いがあるしおいしいので、ここでいろいろ買っていかれるといいですよ!って。なんて優しいんでしょう(;_:) 確かに、オーガニックや、ベジタリアン、ヴィーガン、グルテンフリーへの気遣いは日本よりもずっと海外のほうが意識が高いですよね。


こうして買ってきた食品いろいろ。


夕食はまさにアメリカ~ンなメニューのお店で、ステーキやフィッシュ&チップスや、ハンバーガーなど、それぞれ好きなものをチョイス。ヴィーガンに近い食事、といいながら、結局私は誘惑に負けてハンバーガー、食べてしまいました…。(たまには、ね。って、意思の弱い私(;^_^A)

こちらは「アーノルド・パーマー」という名のアイスティー。アーノルド・パーマーって、有名なアメリカのプロゴルファーですよね(1929~2016)。傘のマークのついたブランドは今も健在です。
その名がついたこのアイスティー、アイスティーとレモネードを半々で混ぜたものです。アーノルド・パーマー氏が、ゴルフ場で、半々に混ぜたものをよくオーダーしてたことから、その名がついたそうです。アメリカでは広く親しまれ、有名コーヒーチェーンの定番メニューにもなっているとか。「アーノルド・パーマーってなに~??」って私たちが話し合っている間に、その場で参加者さんがパパっと検索してくれました!!ありがとう!!ということで、ほぼ全員、アーノルド・パーマーを頼みました(笑) これがまたとってもおいしくて。はまっちゃいそうです♪

食後も、モールの閉まる時間まで、みなさんショッピングを楽しまれたようです。素敵なお店がいっぱいありました~。

今日はとっても天気がよかったですが、明日は雨のよう。そしてちょっと寒いという予報です。明日はみなさんが楽しみにしている、ターシャ・テューダーの庭へ行く日。晴れ女の方がたくさんいらっしゃるので、きっと大丈夫!と信じて、あとは天にお任せします…。

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その5

次の目的地は「フルートランド・ミュージアム」です。
その前に、撮影のみですが、ウォールデン湖に立ち寄ってもらいました。ヘンリー・デーヴィッド・ソローの著書『ウォールデン 森の生活』の舞台です。日本語では湖となっていますが、英語ではウォールデン・ポンド、池ですね。でも、実際に見ると、池にしては大きいので湖、でいいのかな。
実は『森の生活』は、ずっと前に読もうとはしたのですが、早い段階で挫折してしまいました…((+_+)) 面白さが感じられなくて…。参加者さんのお一人が『森の生活』を持参されていました。その方もやはり最初が面白くなくて、ぱらぱらっと読み飛ばしたら、三章から面白く読めた、とおっしゃっていました。せっかくこのツアーで舞台を見たので、今度こそ、読んでみようかと思います。

フルートランド・ミュージアム」は、英語で書くとFruitlands Museum、そうフルーツの土地、です。言葉はいいですが、現実には寒村で、フルーツがたわわに実るような豊かな場所にしようという”理想”を持ってオルコット一家はここで暮らし始めます。1843年、ルイザはまだ10歳でした。なぜこんなところに開拓者精神で住もうかと思ったのか。先の日記に書いた「超越主義(トランセンデンタリズム)」が関係しています。
ルイザの父エイモスは、エマーソンやソローらが中心となって提唱した、新しい「超越主義哲学」に共感し仲間になりました。(ボストンの知識階級の間にも熱狂的に広まったんだそうです)
超越主義とは、超簡単に言うと理想主義運動、ロマン主義運動です。
暗くて、ガチガチに禁欲を貫くピューリタンや、理性的で冷たいユニたリアン教などに対抗し、明るい面を見て理想を追おうよ、と考えたようです。神・自然との交流や、個人の無限の可能性といったものを追求、退屈で煩雑な日常を”超越”して、直感による真理をつかもうとした……ネットで調べれば調べるほどわからなくなる…(;’∀’) つまりは、自然と一体になって直感を研ぎ澄まし、身体や心で神を感じることこそ大事、ってことでしょうか(ざっくり)。

緑も多くて、天気もよくて、理想郷にふさわしい場所に見えますが、暮らすのは大変だったようです。オルコット一家は、超越主義の人びととここで実験的に、共同で菜食主義の生活をして、着るもの、履くものも動物性由来のものは使わないなど、徹底していたそうです。そうした暮らしは、一年で挫折します。ルイザはここの冬の寒さで体をこわしました。

ルイザの父たちよりも2年早い1841年に、やはり超越主義者たちが「ブルック・ファーム」という理想主義共同生活団農場をつくっていて、ナサニエル・ホーソーンがそこに参加しています。それを知ってルイザの父も、続いたのでしょうか。ルイザの父はブルック・ファームを見学に行っています。
ブルック・ファームは1846年には財政難から崩壊。ルイザの父が1年で挫折したのに比べると続いたほうですが、理想郷を作るって、現実にはとても難しいですよね。実際、ルイザの父も、理想は高いものの、経済的には家族を養っていけなかったわけですから、つきあわされた家族(特に小さかったルイザたち娘)は、つらかっただろうな、と感じます。
超越主義者は、世の中から隔離されたユートピアを求めたり、社会から独立した個人の創造性を強調する傾向も強かったみたいで、ルイザたち家族は父の理想や哲学にふりまわされたともいえるでしょう。エマーソンはこの実験生活がうまくいかないと最初からわかっていて忠告したようですが、ルイザの父はそれを振り切って実行したのでした。

現在は、シェーカー教徒や、ネイティブ・アメリカンの暮らし、オルコット一家の暮らしなどがわかる、歴史博物館になっています。

オルコット一家が暮らした農場の母屋は、下っていった、一番奥にあります。


暖炉の上の肖像画は、ルイザの父エイモス・ブロンソン。


1873年にルイザが新聞に発表した短篇『超越的なカラスムギ』。このタイトルは”若気のあやまち”という意味を含んでいるらしいです。ルイザはここフルートランズでの「質素な生活と高度な思考」の実験生活で経験したことを書いています(これ、邦訳はされていないですよね?)。


肖像画はルイザ。壁紙、素敵ですよね、当時の壁紙の複製でしょうか。


絵が上手なメイ(ルイザの妹)が使っていた水彩道具。


ルイザの母がかぶっていた帽子。手前の手袋はルイザたち娘が使っていたもの。

オルコット一家の様子や、当時の暮らしぶりがよくわかる、さすが!の展示内容でした。
中の展示を見ていて、ふと、そういえば、明日訪ねることになっているターシャ・テューダーさんはまさに、オルコット一家がここに住んでいたのとほぼ同じ時代の、こういう生活を現代で実践していたんだよな~~と、感慨深く、ある意味尊敬の念を持ったのでした。

「オーチャード・ハウス」でご案内くださった喜久子さんから、現在やっている特別展に、普段見られないオルコット一家の展示品がありますから、ぜひ見てきてください、とご案内をいただきました。特別展は、このフルートランズ・ミュージアムの設立者(土地の所有者)クララ・エンディコット・シアーズ(1863~1960:作家で、歴史的遺産や自然環境の保護者)の業績や、彼女が長年コレクションしたもの(普段は公開していない)を展示していて、来年2020年3月まで開催。このミュージアムは女性が作ったものなんですね。一般公開は1914年から。(オルコットのオーチャード・ハウスの公開は1912年ですからその2年後ですね)
シェーカー・ミュージアムは1919年、ネイティブ・アメリカン・ミュージアムは1929年、アートギャラリーは1939年にオープンさせています。クララは20世紀初頭より、19世紀のほうが”more picturesque(より人目をひく、おもしろい、絵のように美しい)”な時期だったと語っていたそうです。
ちょっと調べたら、クララは、ボストンのビーコン通り132番地で育ち、近所に住んでいたイザベラ・スチュアート・ガーデナーとも仲がよかったとか!!ボストン美術館のそばに「イザベラ・スチュアート美術館」がありますが、その設立者ですね。自分のコレクションしたものを美術館にしたイザベラと同様、クララのこれらのコレクションもまた素晴らしいもの(目利きだった)ということを、この特別展では伝えているようです。


オルコット一家関係のものがここ。ブロンソンとウィリアム・ハリスの写真、ラルフ・ウォルド・エマーソンの胸像、オルコット姉妹の写真、ルイザとアンナ(姉)の髪の毛、母がフルートランドで編んだメイの靴下(コットンと麻。動物由来のものは使わなかったので)、コンコード哲学学校の講義券、南北戦争の兵士からルイザがもらったコイン、ヘンリー・デーヴィッド・ソローが作った鉛筆。

喜久子さんも初めて見たものがあったとのことで、とても貴重なものを見る機会を得て、本当に私たちのツアーは幸運でした!

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その4コンコードの町

お昼は、1716年創業という、コンコードでも古い歴史を持つ宿屋「コンコード・コロニアル・イン」で。


アメリカの国旗が、ああ、アメリカにいるんだな~~~という実感を盛り上げてくれます。何しろ、私、初アメリカ(笑)
1775年に口火を切ったアメリカ独立戦争の時には、このコロニアル・インのオリジナルの建物の一部が、武器などの倉庫として使われたのだそうです。毎年4月には独立戦争の格好をしたイベントをやっているらしい。

お店や住居、下宿として使われるなどの歴史を経て(ヘンリー・ソローもここに住んでいたことがあるとか)、1889年に現在の形での営業が始まったそうです。「コンコード・コロニアル・イン」という名前になったのは1900年。それから100年以上、続いているのですね。


レストランの建物を入ってすぐのラウンジ。写真左のドアを入っていくと、ホテルの建物のほうに行けます。
ホテル部分とレストラン部分の建物が、横長につながっているんです。どの部分がオリジナルで、どの部分が新しいのかはわかりません…。ただ、どの部分が古いかがわからないくらい、創業当時の面影を残すコロニアル様式に統一されているのはいい感じです♪
コロニアル様式とは、コロニアル(植民地の)材料や風土と、母国と建築様式が結合したもの。正面にポーチがつき、大きな窓やベランダがあって、アメリカではおもに木造、板を横に張った壁が特徴なんだそうです。(ざっくり)


食事をいただいたお部屋。素敵です(≧▽≦) ここに住んでたこともあるソローの肖像画が飾ってありました。


お料理もとてもおいしかったです。デザートが卒倒しそうになるくらい甘く、アメリカの甘さの洗礼を受けた私たちでした(^^;

次の場所へ向かうまでの、数十分の空き時間に、ガイドさんにアンティークショップに行きたいとお願いし、コンコードの町をアンティークショップまで歩きました♪ 古い建物が並ぶ、こじんまりとしたかわいらしい町並みです。

アンティークショップは、”コンコード焼き”が目的でした。”コンコード焼き”の本当の名前はデダム・ポッタリー(Dedham pottery:ボストンの南にあるデダムという町が発祥の陶器)といいます。ボストン土産を検索していて見つけたこちらのサイトによると。
少しグレーがかった乳白色のベースに藍色で模様が描かれ、表面が細かくひび割れているのが特徴(このひび割れが細かいほど高級なんだとか)。1896年~1943年の間デダム・ポッタリー社が研究に研究を重ねた独自の製法で作り上げ、当時アメリカ全土で爆発的人気となったとか。
残念ながら、デダム・ポッタリー社は1943年に閉鎖してしまいました。デダム・ポッタリーのアンティークは、ボストン美術館にも展示されているそうです(後日ボストン美術館に行きましたが、見つけられず(;O;))

現在販売されているのはデダム・ポッタリーの商標を保持している、デダム歴史協会が承認したポッティング・シェド社が作っているレプリカですが、レプリカでもいいから旅の思い出に欲しいなと思ったのでした。
皇后雅子様がハーバード大学に通っていらしたとき、このデダム・ポッタリーを購入され、結納のお返しにされたのだそうです、そのことはこちらのサイトに書いてあります。ウサギの柄が特徴なのかと思いきや、いろいろな種類があるんですね。アウトレット店に行ってみたくなりました。

さて、ガイドさんに連れて行っていただいたそのアンティークショップに、果たして、私が欲しいなと思うデダム・ポッタリーはありました。もちろん、レプリカのポッティング・シェド(ビンテージ)でしたのでお値段はそれほど高くはありません。どれにしようかと迷っている最中、私はなんと、一つを落として割ってしまったのです(;_:) お店の方に、割ってしまったので買います、と言うと、「気にしないで。お代はいらないから」と優しく言ってくださいました。「でも…払います」「本当にいいのよ」「でも…」を繰り返し、やっぱりこれは自分のふがいなさの記念に持って帰ろうと思い、最後には買わせていただきました。


↑こちらは、割ってない(!)小物入れ。この蓋が、すきまがあってぴたっと合っておらず、ぐらぐらして、蓋がぽろっと落ちて、もう一つのカップに落下したのでした…(;゚Д゚) 下の写真の、右側の取っ手が見事に割れて取れてしまいました。他にも欠けたところが…(◎_◎;) もう、絶句です…。

帰国してすぐに、ポンドとパテで修理しました。かなり粉々にくだけたので、こまごまと隙間があり、プロの方に修復してもらおうかとも思いましたが、自分で直してみました(修復初挑戦)。もともと割れているような柄なのと、グレーっぽい色なのが幸いして(笑) パテもそれほど気になりません。気力が出たら、この上から似た色を塗ってみようかとも考えています。こういうのも旅の思い出になりますね(^^;
ひび割れ模様のこのデダム・ポッタリーは、私のもろ好み、というわけではありませんが、素朴さと落ち着きがあり、何よりボストンツアーを忘れらないものにしてくれます。

私の一存でアンティークショップに立ち寄りましたが、ツアーの参加者さんたちも、何人かお気に入りを見つけてお嫁入りされていました。今回の参加者さんは、今までの私のツアーにご参加くださった方々ばかりで、みなさん、アン、オルコットやターシャ、アンティーク好きも私と同じ。アンティークショップに立ち寄るのも喜んで、ショッピングを楽しんでくださいました。ありがたい限りです<(_ _)>

旅行記はつづく