掛川さんぽ②掛川城御殿

掛川さんぽ前回のつづきです。

掛川城の脇から下りていき、次に見たのは「掛川城御殿(二の丸御殿)」。


まず驚かされるのは巨大な式台玄関。こちらは藩主や家老が使い、それ以外の武士は ↓ こちらの東側玄関。

さらに下の足軽は北側の土間から入るようになっていたそうです。

こちらの御殿、全国で4軒しか現存していない、城郭御殿の1つだそうで・・国の重要文化財に指定されています(そんなに貴重な建物だったのね( ̄▽ ̄;))

現在の御殿は、大地震のあと、時の城主・太田資功(すけかつ)によって1855~1861年にかけて再建されたもの。
明治元年までは掛川藩で使われ、その後は勤番所と学問所、女学校や町役場、掛川市役所などと、時代に合わせて用途がかわるものの、使われ続けてきました。そのおかげで現在まで建物が残ったのですね。

 

御殿内部は、謁見の場としての「書院棟」、城主の公邸「子書院棟」、そしてオフィスの役割を持つ「役所棟」と、用途に応じて分けられ、それぞれ位の上下によって部屋も分けられていました。


入ってすぐの三の間、次の間は、謁見者が控える部屋。


太田家の家紋。


こちらは藩主が政務を離れてくつろぐ小書院。


御殿のほうから見上げる掛川城。


藩主の居間である長囲炉裏の間から、小書院をのぞむ。部屋はふすまで仕切られています。
まさに時代劇さながらの佇まいですねー。杉良太郎さんが寄贈したという甲冑なども飾られていました。

身分が下の者が使う部屋になると、部屋の造りも、日当たり、明るさ、素材も違ってくるのがよくわかります。


↑ 御殿をあとにして坂を下っていくと見えてきた、和とも洋とも、寺院とも見えるこの立派な建物。これが『百年名家』でも紹介されていた「大日本報徳社」です。

上の写真は裏から見たもので、表はこちら↓
二宮尊徳が唱えた報徳思想を広めるため、尊徳の弟子によって建てられた民間の講堂です。番組で中を見ましたが、多い時で600人入ったという大きくて立派な講堂でした。見学可だそうなので、ぜひとも日をあらためて訪ねたいと思っています。

坂をおりると、桜の名所となっている逆川です。掛川城の南側を流れる逆川は、当時は外堀の役目を担っていたようです。

約300本が植えられているという桜は、カンビザクラ系統の品種「カケガワザクラ」です(2014年に新しい園芸品種に認定)
私が行った時(2月25日)はまだ咲き始めでしたが、一本だけ満開の木があり、ヒヨドリが嬉しそうに飛び回っていました。今は満開なのではないでしょうか。


この時期限定という、桜のたい焼きを「観光案内処こだわりっぱ」でいただいて、一休み。


ここにもありました!たばこ、ならぬ、茶ばこの自販機。
スティック状のお茶が入ってるので旅行土産にいいですよ♪

まだまだ油断がならないコロナ禍です。気を付けながら春を楽しみたいですね。

掛川さんぽ①掛川城

古い建物や洋館好きなので、BS朝日の『百年名家はお気に入り。

このところ、静岡県の建物が何回か、紹介されています。
コロナ禍なので、八嶋さんと牧瀬さんは、現地の方が案内するのを画面越しに見てコメントする、というスタイルです。
他の番組でも、現地の方が案内するスタイルは増えていて、私はこのスタイルがほのぼのとしていて、臨場感があっていいなと思っています。
必ずしも、リポートするのはプロや有名人である必要はなく、経費をかけて現地に赴くだけが番組作りではないでしょう。

で、紹介されていたのは、磐田市の建物と、掛川市の建物。

磐田市の建物は「旧見付学校」「旧赤松家記念館」「花咲乃庄」が登場。どれも以前訪ねたことがあります(でも行ったのはだいぶ前なので、また行こうかな~(*^▽^*))。

掛川市の建物は、掛川城と、掛川城内の「掛川御殿」と「竹の丸」「大日本報徳社」でした。
竹の丸は5年前に訪ねましたが(この時は楽天ブログでした・・なぜか写真が削除されている・・・(*_*))、掛川御殿と掛川城は、そういえば、まだ行っていませんでした。

ということで、掛川城と御殿に、行ってきました!!
(掛川って、無料の駐車場がないんですよねぇ・・・それが観光のネックかと思うんですが・・・)

掛川城は、1854年の大地震で損壊。お城は再建されることなく明治に廃城。
その後、公園となりましたが、1994年に日本初の本格木造天守閣として復元されたのです。
天守閣の再建にあたっては、山内一豊が築城した高知城を参考に、残された図面に基づき復元したそうです。かかった費用は11億円で、そのほとんどは市民の寄付だったとか!!!( ゚Д゚)

山内一豊は、戦国~江戸時代の武将・大名で、掛川城主として入ったのは1590年で、10年在城しました。一豊は戦乱で傷んだ城の大改築を実施。掛川城に初めて天守閣を作ったそうです。また、同時に城下町の整備も行いました。

こちら、清水銀行の壁のレリーフ。一豊と、内助の功で有名な妻・千代が描かれています。
2006年の大河ドラマはこの一豊と千代でしたが、私は観ておらず・・・( ̄▽ ̄;)

もともと、掛川城は今川氏が築いたもの。徳川家康との戦さで家康の領有となり、その後、秀吉が天下統一を図り、家康に代わり一豊を入城させました。

お友だちのお父様がこの復元に関わったそうで、樹齢300年を越える厳選された青森ヒバを用い、「東海の名城」とうたわれた往時の美しさを忠実に復元しているので、見る価値のあるお城だと聞いてはいましたが、実際に行ってみて、本当に美しい城だと思いました。

決して大きくはありませんが、大きく複雑に見える工夫がされているそうです。

天守閣からの眺めは、さすがにすばらしい!


↑ 一番右の山が粟ヶ岳で、「」という文字が山腹に作られています。山頂には展望休憩所「茶草場テラス」があります。このあたりはお茶の生産地なんですよ。ここに行った日記はこちら


↑ 右下に見える建物が、掛川御殿(二の丸御殿)で、これからここも見学しまーす。

(つづく)

竹原訪問記 その5

竹原散歩日記、最後となります。
その1

その2

その3

その4

最後に、竹原の町並みをアップします(#^.^#)


”原だから、竹?なんでしょうか。竹モチーフがあちこちで目につきました。竹が特産というわけではないようですが、用水路をカバーするように、さまざまな所に竹の格子がかけてありましたし(↓)。


こちらは観光案内所の天井にどどーんと飾ってあった、すべて竹でできた鯉。

アニメ『たまゆら』にも出てくるのですが、毎年、竹のお祭りが開催されているんですよね。やっぱり”竹”つながりなんでしょうか。「町並み竹灯り」は、10月の最終土日に行われるようで、5,000本の竹灯篭からあふれるろうそくの灯りで幻想的に町がライトアップするのだとか。
今年は新型コロナウイルスの影響で、中止になりました。コロナが収束して、いつか行きたい!!です!!


↑こちら、そのアニメ『たまゆら』で、楓(ふう)の祖母と母が営むカフェ「たまゆら」として描かれたカフェ。本当の名前は「ゆかり」というのですね。休業されていて入れませんでした(;O;) 残念。


↑ 小路(しょうじ)と呼ばれる狭い路地が、メイン通りから何本もあり、こういう路地から、人々の生活感がにじみでているので好きです。路地って、思わず入ってみたくなるんですよね。


軒先に飾られている花は、観光客をお迎えしようという各戸の気持ちの現れなんだとか。歴史ある町を大切に守りたいと、住民のみなさんが自主的に始めたそうですよ。素敵な取り組みですよね。


こちら、市の重要文化財になっている「松阪邸」の格子なのですが、これ、嵐が出演っしたJAL先得のCM「幸せのハート」篇(2019年6月から放映された)の撮影地になったところ。嵐がハートを探すというCMです。
私が住む東海地方では放映されていませんので(-_-;) 知りませんでした。動画で見て、あ~~ここだ~~~と。
実は、嵐が来たところがあるよ、って、歩いている私たちに教えてくれたおじさんがいまして。意味がわからなかったのですが、写真だけ撮って、家に帰ってCMをチェックしたというわけです。
ハートマークは、猪目(いのめ)という伝統的な日本の紋様だそうです。イノシシの目を表していて、魔除けや火除けの意味があるとか。日本の神社とかでも見られるようですよね。

とても暑い日で(行ったのは7月ですから(^^;)、海が近いからか、意外とじっとりとした暑さに、途中で喉がかわいて、途中で蔵カフェで休み、体力を補充。暑くても、雨が降るよりよかったかな。とても気持ちのいい散策ができました。

午後3時過ぎに岡本さんとおわかれして、私はJR呉線→山陽本線と、各駅停車を乗り継いで(三原で新幹線に乗り換えてもあまり到着時間が変わらなかったので安い方で(;^ω^))倉敷へ向かいました。


電車の中からはずっと、瀬戸内海が見えました。おだやかで美しい瀬戸内海。癒されます。
天気は途中まではよかったのですが、天気予報通り、もくもくと雨雲が出てきて真っ暗になり、雨がドシャ―っと降ってきました。竹原で雨に降られなくて本当に幸運でした。
土砂降りでしたが、私は三原での乗り換え時以外はずっと電車の中だったので安全でした、そして倉敷駅に着いた頃には雨はやんでいて、が出ていました!!


大きくて、きれいな虹のアーチ。駅にいたみなさん、携帯で写真を撮っていましたよ。

竹原まで行ったのなら、うさぎの島で知られる大久野島にも行きたかったですが、時間がないので、また今度の楽しみにします。早く、コロナが収束に向かいますように・・・。

 

 

竹原訪問記 その4

竹原散歩日記、まだまだ続きます(^^;
その1

その2

その3

日本のウイスキーの父といわれる竹鶴政孝リタ夫人の等身大の銅像は、普明閣から町を見下ろした時に気になっていた洋館のとなりの広場にありました。


以前は図書館だったそうで、現在は歴史民俗資料館です。洋館はこの一軒だけとのことで、あとは洋風っぽい建物はこのコンクリートの建物くらいで、ほかは木造の町屋が並んでいる、見事な調和の町並みです。


後ろに見えるのが、さっき訪ねた普明閣。


「よいウイスキーづくりにトリックはない」との言葉が刻まれています。
この銅像が設置されたのは2015年で、作者は竹原出身の陶芸家・今井眞正(まきまさ)さん。銅像の多くは行政のお金で造られますが、これは企業や市民の寄付を中心に造られたとか。

竹鶴政孝(1894~1979)、愛称マッサンが全国的に知られるようになったのは、NHK朝ドラ『マッサン』(2014年後期)がきっかけでしょう。
ウイスキー製造技術を取得するため、本場スコットランドへはるばる留学。
日本で初めて、純国産のウイスキーづくりに取り組み、ニッカウヰスキーを創業、生涯をウイスキーづくりに捧げました。

奥さんは、スコットランド留学の時に知り合ったスコットランド人女性リタ・カウン。当時としては珍しい国際結婚。リタの家族からも、竹鶴の家族からも反対されたことは、ドラマにも描かれています。

欧米の模造品のウイスキーが作られていただけで純国産のウイスキーは作られていなかった1918年、マッサンは、勤めていた摂津酒造の社長が打ち出した純国産のウイスキー造りの命を受けて、単身、スコットランドへ赴き、ウイスキー造りを学びます。

私はウイスキーはじめ、お酒は飲まないのですが、スコットランド好きとして、マッサンとリタに興味を持ちました。朝ドラは全話みましたし、マッサンに関する展示会も東京まで観に行き、リタが日本へ来る際に持ってきたタータンも見てきましたよ。

テレビ『百年名家』で、竹鶴家の本家である竹鶴酒造を訪ねていた回をDVDに残していたので、もう一度見てみました。放映は2015年。
私は今回実際に行ったので、以前はぼーっと見ていた(笑)のが、ああ、あそこだ、と実感を持ってみることができました。やはり訪ねて自分の目で見るのは大事ですね。

『百年名家』は、ドラマ「マッサン」で、酒造り職人役だった八嶋智人さんが出ているので、ドラマのロケがされた竹鶴酒造は勝手知ったる我が家、という感じで生き生きとレポートされていましたよ。


竹鶴酒造は、今も酒造会社として営業していますが、家を一般公開はしていないので、中だけ見たいというのは無理だそうです。私はお酒を買わせていただいて、中の写真も、自分用に撮るだけなら…と、撮影させていただきました。
『百年名家』ではテレビということもあり、中を特別に撮影しているのでテレビの映像で楽しめます。

竹鶴酒造は「妻入り」の建物です。妻入りとは、屋根の棟に対して直角の壁に出入り口をもうけている家のこと。
一方、棟と平行する壁に出入り口をもうけている家を「平入り」といいます。
竹原は、妻入りと平入りの建物が混在しているのが特徴だそうです。
竹鶴酒造の建物にも見られる、灰色をしたねずみ漆喰(灰漆喰ともいう)と、格子(竹原格子)も竹原の家屋の特徴だとのこと。


竹原格子は一軒一軒デザインが違い、工夫が凝らされているので、それを見て回るのも楽しいそうです。

竹鶴家に話を戻します。竹鶴家は、頼家、吉井家と並ぶ竹原の三大塩田地主のひとつで、1733年からは酒造業も手掛けました。4棟の町屋が並ぶ店構え(2つ上の写真参照)。「兜造り」と呼ばれる妻側上部のひさしに注目。ひさしと接する両端の屋根が段違いになっているのです。これは、江戸時代、家の大きさを、梁間三間に制限されていた(梁の幅を約5・4メートル以内に)ため、三間より外側は一段下げたからだとか。兜のしころになぞらえて、しころぶきともよぶそうです。

『百年名家』では、政孝が生まれた茶室が紹介されていました。ドラマでは、マッサンは竹鶴酒造の跡継ぎ、となっていますが、実際は政孝は分家の息子なので、跡継ぎではないそうです。つまり、この竹鶴酒造は政孝の本家ではないのです。
ではなぜ、本家のこの茶室で生まれたのか、というと、ちょうど本家に来ていた時に産気づいて、出産、となったかららしい(まぎらわしいですね)。

テレビに出演されていた現当主も、この部屋で生まれたそうです。父を早くに亡くした現当主をマッサンは気にかけていたようで、現当主の結婚式にも出席している写真がテレビで紹介していました。じんとくるお話ですね。

竹原旅行記、まだ続きます。

竹原訪問記その3

竹原散歩日記、続きます。
その1

その2

高いところには体力があるうちに登っておきます(笑)
旧笠井邸のあと、坂と階段をのぼって、長生寺へ。


瀬戸内海が見える、気持ちのいい眺めです。
いいお天気でありがたかったんですが、7月だったので、とにかく暑かった。階段のぼるだけで息切れが・・・。
小道を通って、普明閣(西方寺観音堂)へと抜けていきました。


普明閣は1758年(室町時代)再建。京都の清水寺を模した観音堂で、本瓦葺きの二重屋根という特異なつくりが特徴です。


↑大林監督の『時をかける少女』で、二人が話ながら歩くシーンは、ここです。石灯籠でわかりますね。


舞台にあがることができます。眺めがすばらしい!!!


アニメ『たまゆら』でも、この舞台に主人公たちがあがる場面があります。


普明閣から西方寺へ抜ける石塀の道。これもアニメで描写されています。風情がありますね。


これです!!これですよ!! 西方寺から、本町通りへと下るこの階段。『時をかける少女』でも『たまゆら』でも使われています(^^)/
下から見上げたところ。
↓ ほら、下の映画のシーンの右側に見えてますでしょ?

現在、上の写真の右側の建物は取り壊されてなくなっていましたが、左側の古い建物は現存しています。明治4年築の妻入りの町屋で、ここは以前は郵便局でした。1874(明治7)年から郵便取扱所として使われ、竹原で初めての郵便局として約60年間も市民に親しまれていたそうです。
当時と同じ形の郵便ポストが設置されていて、現役で使われているそうです。

 


ちょうどお昼時になり、みんなお店に入ってしまったのか、誰もいない静かな本町通りの写真が撮れました! 平日だったことや、コロナ禍であったこともあり、人がいるといっても本当にすいていて歩きやすかったんですけどね。


お昼はこちらのお好み焼き「堀川」でいただきました。こちらのお店も、アニメ『たまゆら』で、主人公たちの行きつけのお店として登場します。
実はここ、老舗の醤油醸造所なんです。大林監督の『時をかける少女』では、主人公和子の幼馴染の吾朗の家として登場します。実際にこの堀川醤油醸造でロケされました↓
台本では苗字が違っていたのを、歴史ある醤油醸造所なので、そのまま使いましょう、と大林監督がおっしゃって、苗字が本物の堀川、になったとのこと。
上の写真の看板は、映画用に作られたもので、クランクアップの記念に寄贈してもらったんだそうです。今も現役で活躍しています。


映画と同じ角度で撮ってみましたよ♪


『たまゆら』では、入ってすぐにカウンター席がよく出てきますが、とても混んでいて、奥の席に案内されました。奥も広くてびっくり。
豚たま+イカ天を頼みました。イカ天が入ると美味しいんですよ、と岡本さんに教えていただいたので。確かに、味に深みが出て、おいしかったです!!! 『たまゆら』でも、イカ天なしのお好み焼きは考えられない、みたいなセリフがあったので、イカ天はやっぱりこのあたりの定番なのですね~。
久しぶりのお好み焼き、しみじみおいしく味わいました。

お昼のあとは、いよいよ、もう一つの目的テーマ、マッサンです。

竹原訪問記 その2

昨日の日記につづき、竹原訪問記です。

町並み保存地区は大きい範囲ではないので、半日あれば回れます。
メイン通りは、「本町通り」↓
見通しの良いまっすぐな道が、町の中心を、南北に走っています。

原田知世さん主演、大林監督の映画『時をかける少女』では、生徒たちの通学路として何度も登場。

中央を歩いているのが原田知世さんと尾美としのりさん。


上の写真の奥に見える建物が胡堂(えびすどう)。江戸時代前期に建てられた商業の神様だそうです。本町通りの北はじにあって、町の人々はみなこれを見て生活しているといってもいいほどのシンボル的存在だとか。


↑上から撮影された胡堂。知世さんたち三人が歩いています。
映画では重要なシーンで登場しますね。↓
気になった方はぜひ映画をご覧ください~。

現在の胡堂↓

一方、南はじにあるのが旧笠井邸明治5年に浜だんな(塩田の経営者)の家として建てられました。当時の豪商の屋敷の中で、ここは無料で見学させてもらえます。

 


細かな意匠からも、お金をかけているのがうかがえますね。


ふすまの引手が、急須の形です!!!岡本さんと私、テンションアップ~(≧▽≦)


中庭も素敵です。


旧笠井邸の2階。はい、アニメ『たまゆら』を見た方ならわかりますね、楓が友達と一緒に「私たち展」を開催した場所です!私が訪ねた時、たまゆらの紹介がされていましたが、その時はたまゆらを見ていなかったのでさくっと見ただけでした。もっとしっかり見ておけばよかったなー。


旧笠井邸が本町通の南はじで、駅方面からはここが町並み観光のスタート地点ともいえるところです。上の写真のように案内板が、旧笠井邸の前の家に貼られています。この看板、『たまゆら』でもばっちり描かれてます。


旧笠井邸を出て右を見ると、細い路地がL字型に配されています。
曲がり角の家にご注目。

大林監督の『時をかける少女』で、知世ちゃんが幻覚を見る骨董屋ですが、今は一般のおうちのようです。

大林監督の映画『時をかける少女』のロケ地をたどるのも、竹原探訪の目的のひとつでした。尾道だと思っていたけど、竹原でのロケもたくさんあったんですよね。(ちなみに、尾道は30年ほど前に映画のロケ地めぐりで訪れています)

この映画は今から38年前(!!)、1983年の映画で、私にとって『時をかける少女』の映画はこれです!(歳がばれる…)。
『ねらわれた学園』で、薬師丸ひろ子さんの相手役一般公募で選ばれた高柳良一さんが、この『時をかける少女』でも原田知世さんの相手役で、好きになってしまう運命の人です。
今、彼はどうしているんだろう…。ということでググってみましたら、俳優業は引退して、放送局にお勤めだとか。

棒読みや演技下手など、つっこみどころがいろいろありますが(^^; 監督があえて指示したともいわれているし、でもこれは原田知世ちゃんのための映画なので、それでいいんです(笑)
堀川吾朗役の尾美としのりさんの演技はやっぱり違っていました。小さい頃から活躍していた方なので、キャリアが違う(^^;
尾美さんは大林宣彦監督の映画、10本以上に出演しているほどの、監督のお気に入りの役者さんでしたね。

『時をかける少女』のDVDを借りて来て見直してみました。見たのははるか、大昔なので(^^; 記憶もあいまい。
そして、私はこのストーリーをわかっていなかった!!!ことに驚愕(◎_◎;) 二人は結ばれないんです…悲しいラブストーリーだったんですねぇ…。

『時をかける少女』は、アニメにもなっていたなあ…私の息子はこのアニメは観たと言っていた。どれどれ、と、2006年公開のアニメも見てみましたら、原田知世さんが演じた主人公の芳山和子は、オールドミス(これって死語!?)になっていて、和子の姪が、時をかける主人公になっていました。
スカート短っ!携帯出てくる! ああ~~~すごく、今っぽい(これも死語!???)。おまけに、このアニメにはラベンダーは出てこないぞー!

2010年公開の実写映画『時をかける少女』も続けて見ました!
アニメ版『時をかける少女』で、主人公の声を演じた仲里依紗さんが、実写映画の主人公に。わ、若い!!(当たり前なんだけど・笑)
こちらは、アニメ版よりもさらに年月が経ち・・・・芳山和子は結婚し、娘は高校を卒業、という設定。母・和子のかわりに、その娘が、タイムリープして、母のメッセージを運命の人に伝えるお話です。和子が運命の人に会った1972年にタイムリープするはずだったのに、間違えて2年後に行ってしまった…というのがミソ。

1972年って…私は小学校に入ったばっかりですよ。そんなに昔???って、びっくりしちゃいました。原作の『時をかける少女』って、1965~1966年にかけて連載された小説だったんですねぇ。私、おなかにいた頃ですって(◎_◎;)

アニメにしろ、実写版にしろ、主人公が好きな男性と結ばれないのは同じで…やっぱり泣けてしまう(;_:) 切ないんですよね・・・。でも、だからこそ何十年も支持されているのかもしれません。

竹原旅行記、つづきます。

竹原訪問記 その1

昨年の夏、倉敷を旅行したことは以前の日記に書きました。その前に広島県の竹原に寄り、楽しい時間を過ごしたのでしたが、なかなか日記に書けず、今頃になってのアップです(;^_^A

倉敷散歩その1

倉敷散歩その2

倉敷散歩その3

倉敷散歩その4

倉敷散歩その5

倉敷散歩その6(最終回)

古い町並みが大好きなので、竹原にはずっと行きたいと思っていました。
日本のウイスキーの父・竹鶴政孝の生まれ故郷でもありますし、大林監督の映画『時をかける少女』のロケ地でもありますし♪

竹原駅で、広島のTea Story紅茶教室の岡本さんと合流。せっかく広島へ行くなら、お世話になっている岡本さんと、どこかでちょっとお会いしたいなとお伝えしましたところ、竹原には行ったことがないのでぜひご一緒したいとのお返事で♪
自粛続きの中での気分転換となりましたが、食べる時以外はマスクをして、距離を取って歩きました。

竹原は、平安時代、京都下鴨神社の荘園として開かれたので、「安芸の小京都」とも呼ばれています。瀬戸内海に面した港町で、広島の中心地からはだいぶ離れていますね。でも観光地として人気があるので、広島駅や東広島駅、三原駅からバスが出ているので便利です。

竹原は、戦国時代には小早川隆景の領地となり、江戸時代になると製塩業酒造業をなりわいとした豪商の町として発展。
江戸から明治にかけて建てられた古い町屋が多く残っているとして、昭和57年には、伝統的建造物群保存地区に指定されました。

その保存地区までは、駅から10分ほど歩きます。
竹原に行く前に、ちょうど、テレビ『アド街ック天国』で、「ニッポン!郷愁の風景が残る街」として竹原を取り上げていたので、予習になりましたよ。
保存地区へ行く途中の商店街にあったお宮には、ネコがまつられていました。

これは「ももねこ」様といって、2010年~2016年にかけて放映された、竹原が舞台の青春アニメ『たまゆら』に出てくる、桃色のぽっちゃりしたノラ猫(といっていいものかどうか…(^^;)。


お店のショーウインドーにも、ももねこ様が。

実はこのアニメは観たことがなかったので、旅行のあと、DVDを借りて観ました。近くのレンタルショップになかったので、宅配レンタルを利用しました。

主人公の楓(ふう)が竹原に引っ越してきて、すてきな友達ができ、まだぼんやりとしか描けないそれぞれの夢に向かって少しずつ前進していくストーリーで、高校入学から卒業までの3年間が描かれています。
竹原の四季の移り変わり、お祭りなども描かれていて、これは竹原、行きたくなってしまいますよ(^^ゞ
楓が、写真が好き、という点が、私と似ているなあ~と思い、つい、最後のシリーズまで観てしまいました。観るとなったら、一気です。DVDを見続けるって、体力いります。目も疲れちゃうけど…でも、一気に!!感動が薄れないうちに!!!(笑)

楓(ふう)は、2年生になると写真部を一人で立ち上げて、最終的には、人と人をつなぐ写真を撮りたいと、写真関係の進路を決めます。そのあたりからが私的にはおもしろくなりました。
最後のシリーズが一番よかった。やっぱり、自分の道を自分で決めて、歩き出す、旅立ち、というのはいいな~、若いっていいな~って思いました。(もちろん、オバサンだって、いつだって新しいことに挑戦できるんですけどね、でも、若い時は一度しかないから)

タイトルの「たまゆら」というのは、幸せな気持ちの時に写真に写る光の子どもたちのことだそうです。見る人をちょっぴり幸せにしてくれる「たまゆら」が、楓の撮る写真にはよく写るとのこと。意図してたまゆらを出せるわけではないという点。写真には、撮る人の気持ち、心が表れる…ということなんでしょうね。
私が今まで撮った写真に、たまゆらって写ったことあったかなあ…全然意識したことなかったです。

男の子が出てこなくて、恋愛ものでもないし、地味といえば地味だけれど、ずっとファンがついて続いたのは、物語のあたたかさ、ですかね。友情と家族愛。
悪役が全然出てこないし、みんなが優しくて、っていうのができすぎで現実味がない気もしないではない(小説だったら編集者にダメ出しくらいそう)けど、純粋な気持ちにさせてくれるストーリーです。

昨年設置されたという竹原のデザインマンホールはこの「たまゆら」です。描かれている女の子が、主人公の楓。
観光案内所でもらいました♪ もらった時は「たまゆら」を観ていなかったので、マンホールカード欲しさにもらっただけでしたが、作品を観たあとは、もらってよかったな~って、しみじみ、嬉しくなりました。

大林監督の『時をかける少女』よりも、ずーっと新しい作品なので、聖地巡礼として来る若者は、このアニメのファンでしょう。
映画にしろ、アニメにしろ、物語に描かれた竹原の町並みを実際にたどるのはわくわくするものです。これ、あそこだ!!!と、見つける喜びといったら!

私は、プリンス・エドワード島も、イギリスも、アメリカも、好きな物語をテーマに旅して本にまとめています。


こちらは、イギリスのファンタジー物語の舞台、作者ゆかりの場所、映画のロケ地などをおいかけてまとめた一冊です。アリス、ピーターラビット、ハリー・ポッター、ピーターパンなどなど。写真やイラストがたっぷりですので、ぜひ、読んでみていただけたらうれしいです(#^.^#)

竹原旅行記はつづきます。

茶農家さんのアフタヌーンティー♪②

前回のつづきで、鈴木茶苑さんでの限定コラボアフタヌーンティーのお話です。


日本の茶農家さんのアフタヌーンティーなので、洋風ではこないだろうなと予測していましたら、なんと!こんな素敵な曲げわっぱでフードが出てきました(≧▽≦)

井川(いかわ)メンパだそうです。
井川は、川根本町よりもさらに山奥へとのぼっていったいわゆる秘境で、井川ダムが有名。私はまだ井川までは行ったことがありません。
井川の曲物は鎌倉時代から造られたといわれており、室町時代に井川で金山が栄えると、金山の水替えに杓(ひしゃく)や曲桶が必要とされたため、盛んに曲物が作られたとか。
江戸時代末期になると、井川メンパは山村農民の生活用具をこえて、農村の副業生産物として近隣へ販売されていたようです。そこに、漆塗りの技術が加わり、現在の井川メンパが誕生したという流れのようです。

今では製作する人も少なく、手に入れるのは困難な品のようですが、伝統は大事に続いていってほしいですね。

鈴木さんのお話を聞きながら、奥様がお茶を淹れて出してくださいます。お茶は4種類、出してくださいました。

一煎目は、徳山郷煎茶「かぐら」
柚子あんロールとともに。

フードを担当した風工房さんとは何度もお茶に合うペアリングを研究し、このアフタヌーンティー用にお菓子を作ってもらったのだそうです。
この「かぐら」は、在来種を一晩萎凋させた萎凋煎茶。在来種は、品種茶ができる以前にそれぞれの土地に根づいていた茶の木。品種茶隆盛になり、抜かれてしまったりして、今では貴重な存在になってしまいました。
川根茶といえば、昔は在来だったそうです!

かぐわしい香り、川根の様子が浮かんでくるような、ほっとするお茶に、私たちはうっとり。

二煎目は、香り釜茶「山翡翠(やませみ)」。品種はふじみどり。
レモンカルダモンチーズケーキとともに。レモンは島田市産。
ふじみどりは煎茶用品種ですが、個性的な香りと独特の味が敬遠されているとか・・・。今年は青柳式の釜炒り機で製造してみたそうです。台湾式の釜炒り機のものより華やかな香りは抑えられているとのことで、ひかえめな釜の香りが心憎い。
写真のように、どのお茶も、たっぷり出してくださいます。

三煎目は、老練紅茶「くらさわ」
ツナといろいろ野菜のキッシュとともに。
老練、とつけたのは、お父様の勝彦さんが「爺が作っているから」と。
くらさわも煎茶用品種ですが、独特の香りがあるので紅茶にする農家さんはいらっしゃいます。さつまいものような甘い味わいが特徴です(苦くない)。
だいぶ前に、勝彦さんから、くらさわで作ってみたよ、と、試作品をいただいたことがありました。精力的にさまざまな品種で紅茶を試作されるので、次はどんなのを作るのかな、と、楽しみにしていました。

四煎目は、ほうじ紅茶「火恋し」
スコーンとともに。カフェ「うえまる」さんの、川根本町産ブルーベリージャム付き。
煎茶用の品種で作った紅茶を、強火で火入れし焙じた、紅茶の焙じ茶だそうです。甘みのある紅茶を焙じることでパンチを出しているとのこと。
ほうじ茶って、つきささるような感じがあって、私はあまり飲まないのですが、こちらのほうじ紅茶はやさしくて、和食にもあうなあと思いました。

たっぷりのお茶を4種類、どんどん飲んで、おなかがいっぱい。フードも全部食べられなかったので、お持ち帰りさせていただきました。

生産者さんがみずから、お茶作りのこと、お茶への思いを話してくださる機会(それも私たちだけに向けて)はそうあるものではありません。ペアリングばっちりのおいしいお菓子もすばらしく、本当に、充実した楽しい時間でした。鈴木さん、ありがとうございました<(_ _)>

こんないい企画を今回限りではもったいないですよ!とお話したら、今後もやっていきたいと思っているとのこと。やった~!(^^)! 楽しみにしています!

終了後、それぞれ気に入ったお茶を購入。私はやっぱり、老練紅茶ですね!和紅茶のセミナーを来年させていただくので、そこでみなさんにお出ししたいと思っています♪

茶農家さんのアフタヌーンティー♪①

先日、静岡県中部、川根本町の茶農家さん「鈴木茶苑」さんの限定コラボアフタヌーンティーにお茶友さんと行ってきました♪

鈴木茶苑さんのお茶と、同じく川根本町のカフェ「風工房」さんのお菓子がセットになった、すてきな企画(≧▽≦) しかも、お茶のお土産付き♪♪
鈴木茶苑さんのインスタグラムをフォローしているので、この案内があがってすぐに申し込んじゃいましたー。

お値段も一人1,500円と破格!!!
これは静岡県民限定の「大井川あそぼうけん」での企画だから。島田市と川根本町が、観光事業の一環で発行するお得なチケットで、島田市と川根本町にある15の体験・アクティビティを、通常価格の半額で体験することができるというもの。
秋の行楽シーズンに、島田、川根本町に来てほしい、という目的で10月1日に発行されました。

10月1日がフリーだったので、私は午前にすぐにコンビニでこの券を買うことができたのですが、午後にコンビニに行ったお茶友さん二人から、売り切れになってました~~~(;O;)!!!とのメールが( ゚Д゚)
え~~~~そんなに人気の券だったの~~~~!!!

何より、予約しちゃったのに券が買えないのは一大事。鈴木茶苑さんにお問合せしたら、予想外の売れ行きで、急遽、再発行が決まったとのお知らせ。次は買わなくちゃ!!!ということで、無事に再発行日にゲットできました。

私は『紅茶をめぐる静岡さんぽ』(マイルスタッフ)という本を出させていただいており、静岡県内で紅茶をティーポットで出してくれるお店を90軒ほど、取材して、本書でご紹介しています。
「風工房」さんもこの本で取材をさせていただいたところ。ずっと行けてなかったんですが、その間に、お嬢さんに代替わりされたのだそうです。アフタヌーンティー当日に、お嬢さんにお目にかかることができました(#^^#)


現在も販売中ですが、データがちょっと古くなってしまったのでお問合せいただければ少しサービスできますのでよかったら~。

↑本書では、和紅茶、和紅茶生産者さんもご紹介しています(^^)/
(私、和紅茶の応援団として、和紅茶のセミナーもさせていただいています)
その関係で、静岡県内の和紅茶の生産者さんとお話をする機会も多く、鈴木茶苑さんは、一代目の鈴木勝彦さんに大変お世話になっています。

紅茶は今でも勝彦さんがバリバリつくられているそうですが、緑茶やほうじ茶などは二代目の息子さんご夫妻ががんばっておられます。今回のアフタヌーンティーも、若いお二人の発案だとか。

新たにお茶工場を増設され、その横でのアフタヌーンティーです♪
お茶とお菓子をいただくだけだと思っていましたが、二代目みずから、茶工場を案内・説明してくださり、アフタヌーンティーの時も、そばに座って、出すお茶への思い、どのように作っているのか、などを、やさしく、丁寧に、熱く語ってくださいました。


昔、このあたりでは、摘んだ茶葉を、座敷に広げて萎凋(いちょう)していたとか。萎凋というのは、茶葉の水分量をぬくために、茶葉を置いておいてしおれさせる工程です。そうすることで、茶葉が持つ酸化酵素の働きによって発酵がうながされるからです。萎凋をすることで、青っぽかった生葉の香りが、花や果実にもたとえられる独特の芳香に変わっていきます。

煎茶は発酵させないので、香りはご法度。萎凋させずにすぐに蒸してしまいます。でも、嗜好が多様化し、最近は香り緑茶といって、萎凋をして香りを出した緑茶も堂々と販売できる時代になりました。私は香りのするお茶が好きなので、萎凋したお茶と聞くと、あ、私好みかな?って、だいたいわかります(;^_^A

川根でも、昔は萎凋させた緑茶だったんですね。鈴木さんは、その時の素朴な、香りの高いお茶を作りたいと、竹かごに茶葉を広げて萎凋しているのだそうです。大きなかごが、上のほうに並んでいました。今じゃ、こういうかごも売ってないですよね。茶業をやめられた方から譲ってもらって増えたとのこと。


そして、この古い製茶機!! 昭和29年製です。今じゃ、この機械をお持ちの方もほとんどいないのでは。幸運なことにこれを手に入れることができたと、鈴木さんもうれしそうに話してくれました。きれいにして、ない部品を補うなどの手入れが必要だそうですが、早くこれを使えるようにして、これでお茶を作りたいと話してくれました。
昔使われていた製茶機で、昔ながらの萎凋した緑茶を作る。手間もかかるし、大量生産はできないけれど、自分が小さい頃親しんだ、香り高いお茶を作っていくという自分たちのビジョンに合うと。

この製茶機、「高林謙三翁発明」と記してある「高林式粗揉機」です。高林謙三(1857~1941)は、埼玉県生まれ。裕福な医者でした。海外との貿易不均衡を知り、国益のためには茶の振興だということで、茶苑経営を始めます。しかし、手もみ製法ではつくれるお茶の量は限られています。そこで製茶機械の発明に力を注ぐのです。
失敗して資金がなくなっても諦めずに続け、明治31年、茶葉粗揉機の特許を取得し、製造も開始されます。
粗揉機製作の特約を結んだ松下工場の名前も、上の写真に書いてありますね!
この字の書体もいいですねぇ~~~。と、お茶友さんと盛り上がり(笑)
アフタヌーンティーをいただく前にだいぶ茶工場で話し込んでしまいました(^^ゞ

ということで、アフタヌーンティーの話は次回。

江戸から昭和期の双六

先の日記で、島田市を走る蒸気機関車トーマス号に乗ってきたことを書きましたが、また別の日に、再び島田市へ車ででかけました。
目的は、島田市博物館の企画展『双六と人々の生活』を見るため。こちらは来年2021年1月24日(日)まで開催中。


島田市博物館は大きな博物館ではありませんが、広いと疲れてしまうので(^^;
このくらいのほどよい大きさのところが気軽でいいです。
とはいえ、遠くのこの博物館まで来たのは、もちろん、双六というテーマに興味があるからでもありますが、チラシにもなっている上の双六の絵が、川端龍子の作で、本物を見たかったからです。

私は川端龍子の絵が好きで、東京にある記念館にも行ったことがあります。その時の日記はこちら(以前の楽天ブログです。なぜか写真が消えている・・・( ;∀;)古いブログをこっちのブログに移さないとと思っているのですが時間がなくててつかずのまま・・・)

この川端龍子の双六、「友子の空想旅行双六」(1919年)という大きな双六で、ひとつひとつが、とってもかわいいのです(≧▽≦)
友子さんが天女様からもらった飛行機で、天の上の理想の島にたどりつく、それまでいろいろな目にあうというもの。

川端龍子の双六は、ほかにも「少年軍艦双六」(1917)と「冒険小説雙六」(1913)、「花咲双六」(1912)の3点もありました。うれしい~。

双六には二種類あって、「盤双六」という、二人で対戦するボードゲームと、紙に描いた絵をさいころで出た目の数ずつ進んでいく「絵双六」があるそうです(それも知らなかった(;^ω^))。
江戸時代には盤双六と絵双六が共にすごろくと呼ばれていたので混乱し、盤双六は幕末期に廃れたそうです。現在では、双六といえば「絵双六」ですよね。

展示は写真が撮れなくて残念。
ひとくちに、絵双六といっても、仏教の教えを説いたものとか、旅をしていく道中ものとか、立身出世もの、戦争時には戦意高揚もの、明治になると文明開化ものなど、さまざまな目的で作られていて、見ていておもしろいです。
お料理献立双六、流行のファッション双六、どうぶつえん双六などもありました。

ゴールにつくまでの紆余曲折も、あれま、こんな目にあうのね、などと笑えたり笑えなかったり(;^_^A

単なる遊びにとどまらず、知識や情報を広める機能や、それぞれの時代を生きた人々の生活や夢をうかがうことができます。決して、子どものものではなかったんですよね。

この展示、特殊東海製紙Pamコレクションより、と書いてありました。検索してみると、三島市にある特種東海製紙の企業資料館のようです。紙に関する幅広い資料が所蔵・展示されていて、予約すれば見せてもらえる様子。紙に携わる仕事をしている者としては、紙好きとしては、興味をそそられます~。

島田市博物館の常設展は、「旅と旅人」がメインテーマ。人はなぜ旅をしたのかを考え、江戸時代後期の大井川と川越しの様子、島田宿の川留め文化などを紹介しています。
こちらもなかなかおもしろい展示です。子どもにもわかるように説明してあります。
博物館の目の前を流れる巨大な大井川は、江戸時代、超えるのが大変だった東海道の難所のひとつでした。弥二さん喜多さんの道中記にも登場します。
川越の話だけでなく、当時はいくらかかったのかとか、旅人はお金をどうやって持ち運んだのか、とか、そういうことも書いてありますよ。

雨などで流れが早くなると大井川は危険なので渡れなくなり、渡れるようになるまで(いつとはわからない)足止めをくらいます。
川を渡すのは人力で、お金によって肩車だったり、蓮台だったりします。下の写真が蓮台。


こんな記念碑があるのを今回初めて知りました(;^_^A
川を渡す人を川越人足といい、この人たちは一年中人足をしていたわけではなく、人足当番じゃない日は農業をやっていたとか。

そういえば、川越人足がすたれたあと、人足たちはこのあたりの茶畑の開墾に携わっていくのですよー。そこまでは博物館ではふれていませんでしたが。


女性の日本髪として一般的な「島田髷(まげ)」。由来は諸説ありますが、この島田宿の遊女「虎御前」が考案して結ったのが始まりというのが一説です。
島田市では毎年9月、「島田髷まつり」が開催され、さまざまな型の日本髪・島田髷を結い、揃いの浴衣を着た髷娘たちが手踊りをしながら歩く「島田髷道中」が有名です。私はまだ一度も見たことがなく、いつか見たいと思っているのですが、今年はコロナのため中止になってしまいました(-_-;)


トイレの絵も、江戸風でかわいらしいかった。


島田市博物館には分館があります。当時の島田宿の面影が残る通り(川越街道)を歩いていくと、明治23(1890)年に建てられた町屋があり、そこを分館として活用しています。
以前、この川越街道でお茶のイベントがあり、私もお仲間に入れていただき、和紅茶のテイスティングセミナーをさせていただきました。
もっとどんどん、この場所を活用したらいいのになあ、と思います。


町屋の裏手の中庭。奥の、白い新しい建物が、2000年にオープンした「海野光弘版画記念館」です。
私はこの海野さんの版画が大好きです。
海野光弘は、昭和14(1939)年静岡市生まれ。中学1年より本格的に版画を制作。昭和52(1977)年にはスイス美術賞展優秀賞を受賞するなど、版画家として第一線で活躍をしながら39歳の若さで急逝。

記念館は、海野光弘の作品を季節によって展示替えしています。近かったら、何度でも行きたいくらい、大好きな絵です。


京都の数寄屋風の造りになっているらしく、畳に座って、こもれびや、日本庭園をゆっくり眺めるのもいいんです。


当時の台所。この分館は当時の家の様子や暮らしがわかるようになっているのもいいですね。

規模は小さいけど、見ごたえのある施設や場所が、静岡にはたくさんあります。コロナで、県外へ行きにくくなったおかげで、地元再発見できる機会が増えました。ありがたいことです。
まだまだ行っていないところ、知らないいいところがあるので、これからも楽しく歩いてみたいと思います!(^^)!