掛川さんぽ②掛川城御殿

掛川さんぽ前回のつづきです。

掛川城の脇から下りていき、次に見たのは「掛川城御殿(二の丸御殿)」。


まず驚かされるのは巨大な式台玄関。こちらは藩主や家老が使い、それ以外の武士は ↓ こちらの東側玄関。

さらに下の足軽は北側の土間から入るようになっていたそうです。

こちらの御殿、全国で4軒しか現存していない、城郭御殿の1つだそうで・・国の重要文化財に指定されています(そんなに貴重な建物だったのね( ̄▽ ̄;))

現在の御殿は、大地震のあと、時の城主・太田資功(すけかつ)によって1855~1861年にかけて再建されたもの。
明治元年までは掛川藩で使われ、その後は勤番所と学問所、女学校や町役場、掛川市役所などと、時代に合わせて用途がかわるものの、使われ続けてきました。そのおかげで現在まで建物が残ったのですね。

 

御殿内部は、謁見の場としての「書院棟」、城主の公邸「子書院棟」、そしてオフィスの役割を持つ「役所棟」と、用途に応じて分けられ、それぞれ位の上下によって部屋も分けられていました。


入ってすぐの三の間、次の間は、謁見者が控える部屋。


太田家の家紋。


こちらは藩主が政務を離れてくつろぐ小書院。


御殿のほうから見上げる掛川城。


藩主の居間である長囲炉裏の間から、小書院をのぞむ。部屋はふすまで仕切られています。
まさに時代劇さながらの佇まいですねー。杉良太郎さんが寄贈したという甲冑なども飾られていました。

身分が下の者が使う部屋になると、部屋の造りも、日当たり、明るさ、素材も違ってくるのがよくわかります。


↑ 御殿をあとにして坂を下っていくと見えてきた、和とも洋とも、寺院とも見えるこの立派な建物。これが『百年名家』でも紹介されていた「大日本報徳社」です。

上の写真は裏から見たもので、表はこちら↓
二宮尊徳が唱えた報徳思想を広めるため、尊徳の弟子によって建てられた民間の講堂です。番組で中を見ましたが、多い時で600人入ったという大きくて立派な講堂でした。見学可だそうなので、ぜひとも日をあらためて訪ねたいと思っています。

坂をおりると、桜の名所となっている逆川です。掛川城の南側を流れる逆川は、当時は外堀の役目を担っていたようです。

約300本が植えられているという桜は、カンビザクラ系統の品種「カケガワザクラ」です(2014年に新しい園芸品種に認定)
私が行った時(2月25日)はまだ咲き始めでしたが、一本だけ満開の木があり、ヒヨドリが嬉しそうに飛び回っていました。今は満開なのではないでしょうか。


この時期限定という、桜のたい焼きを「観光案内処こだわりっぱ」でいただいて、一休み。


ここにもありました!たばこ、ならぬ、茶ばこの自販機。
スティック状のお茶が入ってるので旅行土産にいいですよ♪

まだまだ油断がならないコロナ禍です。気を付けながら春を楽しみたいですね。

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