倉敷散歩 その2

倉敷散歩その1の続きです。

朝、泊まった部屋から外を見ると、なんと眼下に「大橋家住宅」がありました!倉敷町屋の典型的な建物で、公開されており、大富豪の豪華な生活がうかがえるのですが、今回はここを見る時間はなかった・・・・次回のお楽しみです。

ホテルは、アーリーチェックアウトすると安いプランを申し込んだので、9時にチェックアウト。
朝食はいつも食べないので、ついてなくて構わないのです。荷物は預かってもらえました。

9時から開いているお店も少なく、観光客のほとんどいない朝の美観地区を散策します。


左に見える立派な塀に囲まれているお屋敷は、昭和天皇がお泊りになられた有隣荘。左下に見える今橋は、天皇の行啓を記念するため莫大な資金をかけて改装したもので、龍の彫刻は児島虎次郎の作。

 


お仕事に向かう地元の人が通っていくくらいの、静かな朝です。とはいえ、いい天気すぎる~ありがたいけど、とにかく、もう9時の時点で暑い!!

 

倉敷は、昔、遠浅の海だったそうです。その後、新田開発で徐々に埋め立てられました。
その新田には、塩分をよく吸い取る綿花が植えられたとか。これが、のちに織物の倉敷発展につながるんですね。

江戸時代、大坂冬の陣で、備中国総代官小堀遠州が徳川家に兵糧として米を送ったことから、徳川幕府の天領となります。


この倉敷川は、年貢米の集散地として賑わいました。
天領は、税の面で優遇されていたため、おのずと人が集まり、貯蔵のための米蔵蔵屋敷が川沿いに建ち並んだわけです。
今も当時の面影がとてもよく残っているのも、第二次世界大戦で空襲の被害を受けなかったことも理由ですが、
大原美術館に西洋のコレクションがたくさんあったから空襲を受けなかったというのは、本当でしょうか。
だとしたら、大原美術館をつくった孫三郎は、倉敷の恩人といってもいいでしょうね。


江戸時代、多くの船が行きかった倉敷川。その風情を味わるのが、川舟流し。こちらは運行していましたよ。舟には「天領丸」と書かれてあります。
現在の川幅は10mくらいだそうですが、江戸時代は20mほどあったそうです。

明治になり、天領としての恩恵がなくなった倉敷。
当時、岡山県が有数の綿生産地であることに目を向けた三人の青年が、紡績所の推進を呼びかけます。
それに応えたのが、富豪・大原幸四郎(大原美術館を創設した孫三郎の父)でした。
放置されていた代官所跡に倉敷紡績所(現在のアイビースクエアはその工場跡地)が創立され、倉敷は近代産業発展の一端を担うことになるのです。


みんなが立ち止まって記念撮影をする中橋。左の擬洋館が、観光案内所
無料の観光ガイドさんをお願いしようと思ったら、コロナでやっていないとのこと(;O;) ああ・・・せっかく時間があるのに・・・残念・・・。


観光案内所のほうから中橋をのぞむ。右の木のところに、人力車がとまっています。ここはよくドラマの撮影でも使われますね。


観光案内所の2階からの景色。ビュースポットなので、ぜひ2階にあがってみてくださいね。

(旅行記はつづく)

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