「ポンペイの輝き」展

「ナスカ展」を観終わって、その足で、渋谷BUNKAMURAで行なわれている「ポンペイの輝き」展へ急いだ。展覧会のはしごは疲れるのを承知のうえで(実際、すでにナスカ展だけでへとへとになっていた)、せっかくの機会を逃してなるものかと、気力で渋谷へ。

「ナスカ展」ほどではないにしても、「ポンペイの輝き」のほうも、かなりの人で賑わっていた。何度も言うようだが、この日は火曜日、平日である。それでこの混みよう…土日はさぞや怖ろしい状態なんでしょうね(――;)

ポンペイは、言わずと知れた、火山の爆発で埋もれた古代ローマの都市。火山が起こったのは、西暦79年8月24日。噴火は19時間にわたって続き、ヴェスヴィオ火山のふもとの、風光明媚で、ローマ人が余暇地として利用していたエルコラーノやポンペイなどの町々が、火山灰に埋没した。助かった人もいたが、助からなかった人も大勢いた。

火山の噴火物に厚くおおわれた都市はその後復興することなく、発掘が本格的に始まったのは18世紀になってからだという。

そうした発掘で出土された品々が、今回の展覧会で並んでいる。

命を落とした人々が身につけていた宝飾品、持って逃げようとしていたお金や宝飾品、建物内部の壁画、家や庭にあった彫像など、400件あまりの出土品からは、当時の暮らしぶり、美術の粋がありありとわかる。

展覧会の題名は「ポンペイの輝き」。まさに、ぴったりの題名じゃないの。そのくらい、出土品は見事な彫刻や細工がほどこされた金や銀で、キラキラ、キラキラしていた。たしかに、その芸術性はすばらしい。

のちに、ルネッサンス(古代ギリシャ・ローマ時代の再生)運動が起こったのも納得だ。でも、時が過ぎ去ったあと振り返ってみれば昔はすばらしかったという、回顧とか、理想化があった気もしないではなく、その時代の現状を客観的に見れば、まったく、古代ローマ人は、こんなに贅沢なものをはべらしていたのか…なんてつぶやいてしまうのは私だけだろうか? ずいぶんとはめをはずしていたところもあるようだし…。いくらなんでも、ちょっと行き過ぎじゃない?

パリのヴェルサイユ宮殿に行ったとき、あまりのキラキラ、豪華さに、気持ちが悪くなったほどだが、この展覧会も、少々同じような不快感をかんじざるをえなかった。もちろん、余暇地:開放感のある町だったということや、貴族の館が多かったことなど、豪華な出土品が多い要素もあるにはある。展覧会だから、いいものだけ選んで出しているのもわかっている。

「ポンペイの輝き」ということで、繁栄した古代都市の輝きを伝えるのはいいが、その裏にあるものも、見逃してはならないと思う。単なる自然災害と片付けてしまってはいけない部分だ。

ヴェスヴィオ火山が爆発したのは、古代ローマ帝国が人類史上、もっとも幸福な時代といわれている絶頂期だった。贅沢を尽くし、だらけた暮らしに、天罰がくだったのだといわれても仕方のない部分がある。
バブルがはじけたみたいに、絶頂期はいつまでも続かない。豪華な展示品は、当時のおろかな部分をもさらしている。うっとりするだけでなく、その一方にあるダークな部分も感じていかなければならないと思う…。

小さいころ、『ポンペイ最後の日』を読んで、なんてかわいそうなんだろう、と思ったが、大人になって、違う見方もできるようになった。

それにしても…この爆発から助かった人々は、この爆発をどのように感じていたのだろう。人口の2割の人が亡くなって、8割の人は生き残ったという。
でも8メートルも火山灰が積もり、復興は不可能と判断し、生き残った人々は町を捨てた。
そして、何もないその場所は人々から忘れ去られていったが、「町」を示す言葉だけは残っていて、その場所が町だったことをかすかに伝えていたということだ。

ほんとに、ほんとに見捨てられてしまった町だったのね…なんか、さびしいですね。

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