ニューイングランドツアー日記 その2

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6月12日(水) 晴れ
今日は、『若草物語(原題:Little Women)』の作者ルイザ・メイ・オルコット(1832~1888)をたどる一日です。
まずは、コンコードにある、オルコット一家が住んだ家「オーチャード・ハウス」へ。
コンコードは、アメリカ独立戦争の始まる契機となったレキシントン・コンコードの戦い(1775年)があった地として有名だそうですが、もうひとつ、文豪が何人も住んでいたことでも有名です(コンコード派とも呼ばれるらしい)。

思想家・哲学者・作家・詩人として活躍したラルフ・ワルド・エマーソン、『緋文字』を代表作とする作家ナサニエル・ホーソーン、『ウォールデン森の生活』を書いたヘンリ―・デイヴィッド・ソロー。そして、『若草物語』を書いたルイザ・メイ・オルコットと、その父エイモス・ブロンソンです。
オルコット一家が「オーチャード・ハウス」に住んだのは、1858~1877年の約20年で、あちこち転々としたオルコット家が、一番長く腰を落ち着けた家です(といっても娘たちは結婚や仕事で実家を離れましたが)。
コンコードという町には、その前にも(ルイザが7~10歳の時と、13~16歳の間にも)住んでいました。オルコット一家とコンコードとの縁は、ルイザの父エイモスがエマーソンと交流があり、エマーソンの勧めがあったからです。

エマーソンは『自然』(1836年)で、超越主義哲学(transcendantalism(トランセンデンタリズム):超絶主義ともいわれる)を打ち出し、その思想は他の思想家、著述家、詩人などに大きな影響を与えました。ホーソーン、ソロー、そしてルイザの父も、エマーソンの超越主義に共感しました。エマーソンはコンコードを超越主義のふるさと、知的文化の中心にしたいと思っていて、ルイザの父も呼び寄せたようです。
超越主義がどんな思想なのかは、追って書きますが、この新しい思想に傾倒したルイザの父エイモス(エイモスもまた哲学者で、教育者でした)を抜きにして、ルイザは語れません。


写真で見て外観は知っているけれど、実際に目の前にその家が現れると…言葉にできない感動が…。

ルイザの父エイモスがこの家を購入した時、りんごの果樹園があったことから「オーチャード(果樹園の意味)」という名前がつきました。17世紀に建てられたというこの家は当時すでに古すぎましたが、エイモスが上手に手を入れて改装したのだそうです。(→この家は1965年、アメリカの国定歴史建造物として認定されています)

オーチャード・ハウスに住み始めた時、ルイザは26歳。処女作を出版し、すでに作家として活躍を始めていましたので、この家の自分の部屋で執筆するルイザの写真が残っています。『若草物語』もここで書かれたんですよ~♪♪


母屋の後ろのあるこの建物は、1879年に開校した、父エイモスの哲学学校。超越主義哲学をはじめとする、知的で文化的な議論が行われたそうです。アメリカにおける成人教育のはしりで、ヨーロッパからも参加する人々がいるほど、人気があったとか。(現在内部の見学はできません)

ルイザがこの家に住んでいた時期に勃発したのが「南北戦争」(1861~1865年)です。のちに出版され、大ヒットするルイザの『若草物語』は、南北戦争の頃が舞台です。
ルイザは看護婦に志願し、ワシントンの病院で南北戦争の負傷者を介護します。しかし自身が腸チフスにかかり、オーチャード・ハウスに戻ってきたのちも生死をさまよいました。1863年に出版された『病院のスケッチ』は、この時の体験をもとに書いたものです。

南北戦争とは、どんな戦争だったのか、私自身がうろ覚えなので、確認してみます。
アメリカ合衆国の歴史で唯一の内戦である「南北戦争」。アメリカ国内の南部北部とが分断して戦った大規模な戦争で、死者は62万人にものぼるといわれます。

原因は、南部と北部での経済状態の違いと、黒人奴隷の解放です。
イギリスとの結びつきが強かった南部は、イギリスからの輸入量が多かったので、安い関税を求めます。また、南部では黒人奴隷をつかった綿花栽培のプランテーションも発達し、その綿花がイギリスへ輸出されていました。

北部は、工業化が進んでいたため、イギリスからの輸入品に高い関税をかけて国内の産業を発展させたい。また、黒人奴隷にも反対でした。南部の奴隷を解放して労働力を得ようと画策します。

1860年11月の大統領選挙で、奴隷制に反対するリンカーンが当選。南部の人びとは危機感を強めました。翌年には南部の7州が合衆国を脱退し、ジェファソン=デヴィスを大統領とするアメリカ連合国の独立を一方的に宣言(アメリカが北と南で分断)。4月には武力衝突が発生し、南北戦争が始まってしまいます。

4年にもわたる闘いの末、北部が勝利。アメリカは再び統一され、リンカーンによる「奴隷解放宣言」がなされますが、黒人への差別や偏見はなくなりませんでした。

『若草物語』の第一部(四部まである)は、南北戦争が終わってから3年後の、1868年に出版されています。
戦地へ北部軍の従軍医師として赴いた父が留守の間、母と4人の娘がけんかをしながらもしっかりと家を守る、というお話です。
ルイザの父も、ルイザ自身も黒人奴隷制反対者でした。ルイザの父は黒人の生徒を自身の学校に入学させたために出資者を失い、閉校にさせてしまいました。でも、物語に黒人問題は出てきませんね、少女向けのお話としてあえて避けたのかもしれません。

旅行記はつづく

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