ニューイングランドツアー日記 その6

フルートランド・ミュージアム」の見学で、今日の予定は終了。「オーチャード・ハウス」「フルートランド・ミュージアム」と、ルイザ・メイ・オルコット一家をたどる、充実した一日でした。
ホテルへ戻り、少し休憩したあと、すぐそばのネイティック・モールへ。19時に予約してある夕食のお店の場所をみんなで確認し、その後19時までフリータイムになりました。
このモールの中にはスーパーもあるので、私はスーパーへ。
ヴィーガンに近い食生活をしている私を気遣って、参加者さんがヴィーガンのコーナーを店員さんに聞いてくれました。アメリカはヴィーガンへの気遣いがあるしおいしいので、ここでいろいろ買っていかれるといいですよ!って。なんて優しいんでしょう(;_:) 確かに、オーガニックや、ベジタリアン、ヴィーガン、グルテンフリーへの気遣いは日本よりもずっと海外のほうが意識が高いですよね。


こうして買ってきた食品いろいろ。


夕食はまさにアメリカ~ンなメニューのお店で、ステーキやフィッシュ&チップスや、ハンバーガーなど、それぞれ好きなものをチョイス。ヴィーガンに近い食事、といいながら、結局私は誘惑に負けてハンバーガー、食べてしまいました…。(たまには、ね。って、意思の弱い私(;^_^A)

こちらは「アーノルド・パーマー」という名のアイスティー。アーノルド・パーマーって、有名なアメリカのプロゴルファーですよね(1929~2016)。傘のマークのついたブランドは今も健在です。
その名がついたこのアイスティー、アイスティーとレモネードを半々で混ぜたものです。アーノルド・パーマー氏が、ゴルフ場で、半々に混ぜたものをよくオーダーしてたことから、その名がついたそうです。アメリカでは広く親しまれ、有名コーヒーチェーンの定番メニューにもなっているとか。「アーノルド・パーマーってなに~??」って私たちが話し合っている間に、その場で参加者さんがパパっと検索してくれました!!ありがとう!!ということで、ほぼ全員、アーノルド・パーマーを頼みました(笑) これがまたとってもおいしくて。はまっちゃいそうです♪

食後も、モールの閉まる時間まで、みなさんショッピングを楽しまれたようです。素敵なお店がいっぱいありました~。

今日はとっても天気がよかったですが、明日は雨のよう。そしてちょっと寒いという予報です。明日はみなさんが楽しみにしている、ターシャ・テューダーの庭へ行く日。晴れ女の方がたくさんいらっしゃるので、きっと大丈夫!と信じて、あとは天にお任せします…。

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その5

次の目的地は「フルートランド・ミュージアム」です。
その前に、撮影のみですが、ウォールデン湖に立ち寄ってもらいました。ヘンリー・デーヴィッド・ソローの著書『ウォールデン 森の生活』の舞台です。日本語では湖となっていますが、英語ではウォールデン・ポンド、池ですね。でも、実際に見ると、池にしては大きいので湖、でいいのかな。
実は『森の生活』は、ずっと前に読もうとはしたのですが、早い段階で挫折してしまいました…((+_+)) 面白さが感じられなくて…。参加者さんのお一人が『森の生活』を持参されていました。その方もやはり最初が面白くなくて、ぱらぱらっと読み飛ばしたら、三章から面白く読めた、とおっしゃっていました。せっかくこのツアーで舞台を見たので、今度こそ、読んでみようかと思います。

フルートランド・ミュージアム」は、英語で書くとFruitlands Museum、そうフルーツの土地、です。言葉はいいですが、現実には寒村で、フルーツがたわわに実るような豊かな場所にしようという”理想”を持ってオルコット一家はここで暮らし始めます。1843年、ルイザはまだ10歳でした。なぜこんなところに開拓者精神で住もうかと思ったのか。先の日記に書いた「超越主義(トランセンデンタリズム)」が関係しています。
ルイザの父エイモスは、エマーソンやソローらが中心となって提唱した、新しい「超越主義哲学」に共感し仲間になりました。(ボストンの知識階級の間にも熱狂的に広まったんだそうです)
超越主義とは、超簡単に言うと理想主義運動、ロマン主義運動です。
暗くて、ガチガチに禁欲を貫くピューリタンや、理性的で冷たいユニたリアン教などに対抗し、明るい面を見て理想を追おうよ、と考えたようです。神・自然との交流や、個人の無限の可能性といったものを追求、退屈で煩雑な日常を”超越”して、直感による真理をつかもうとした……ネットで調べれば調べるほどわからなくなる…(;’∀’) つまりは、自然と一体になって直感を研ぎ澄まし、身体や心で神を感じることこそ大事、ってことでしょうか(ざっくり)。

緑も多くて、天気もよくて、理想郷にふさわしい場所に見えますが、暮らすのは大変だったようです。オルコット一家は、超越主義の人びととここで実験的に、共同で菜食主義の生活をして、着るもの、履くものも動物性由来のものは使わないなど、徹底していたそうです。そうした暮らしは、一年で挫折します。ルイザはここの冬の寒さで体をこわしました。

ルイザの父たちよりも2年早い1841年に、やはり超越主義者たちが「ブルック・ファーム」という理想主義共同生活団農場をつくっていて、ナサニエル・ホーソーンがそこに参加しています。それを知ってルイザの父も、続いたのでしょうか。ルイザの父はブルック・ファームを見学に行っています。
ブルック・ファームは1846年には財政難から崩壊。ルイザの父が1年で挫折したのに比べると続いたほうですが、理想郷を作るって、現実にはとても難しいですよね。実際、ルイザの父も、理想は高いものの、経済的には家族を養っていけなかったわけですから、つきあわされた家族(特に小さかったルイザたち娘)は、つらかっただろうな、と感じます。
超越主義者は、世の中から隔離されたユートピアを求めたり、社会から独立した個人の創造性を強調する傾向も強かったみたいで、ルイザたち家族は父の理想や哲学にふりまわされたともいえるでしょう。エマーソンはこの実験生活がうまくいかないと最初からわかっていて忠告したようですが、ルイザの父はそれを振り切って実行したのでした。

現在は、シェーカー教徒や、ネイティブ・アメリカンの暮らし、オルコット一家の暮らしなどがわかる、歴史博物館になっています。

オルコット一家が暮らした農場の母屋は、下っていった、一番奥にあります。


暖炉の上の肖像画は、ルイザの父エイモス・ブロンソン。


1873年にルイザが新聞に発表した短篇『超越的なカラスムギ』。このタイトルは”若気のあやまち”という意味を含んでいるらしいです。ルイザはここフルートランズでの「質素な生活と高度な思考」の実験生活で経験したことを書いています(これ、邦訳はされていないですよね?)。


肖像画はルイザ。壁紙、素敵ですよね、当時の壁紙の複製でしょうか。


絵が上手なメイ(ルイザの妹)が使っていた水彩道具。


ルイザの母がかぶっていた帽子。手前の手袋はルイザたち娘が使っていたもの。

オルコット一家の様子や、当時の暮らしぶりがよくわかる、さすが!の展示内容でした。
中の展示を見ていて、ふと、そういえば、明日訪ねることになっているターシャ・テューダーさんはまさに、オルコット一家がここに住んでいたのとほぼ同じ時代の、こういう生活を現代で実践していたんだよな~~と、感慨深く、ある意味尊敬の念を持ったのでした。

「オーチャード・ハウス」でご案内くださった喜久子さんから、現在やっている特別展に、普段見られないオルコット一家の展示品がありますから、ぜひ見てきてください、とご案内をいただきました。特別展は、このフルートランズ・ミュージアムの設立者(土地の所有者)クララ・エンディコット・シアーズ(1863~1960:作家で、歴史的遺産や自然環境の保護者)の業績や、彼女が長年コレクションしたもの(普段は公開していない)を展示していて、来年2020年3月まで開催。このミュージアムは女性が作ったものなんですね。一般公開は1914年から。(オルコットのオーチャード・ハウスの公開は1912年ですからその2年後ですね)
シェーカー・ミュージアムは1919年、ネイティブ・アメリカン・ミュージアムは1929年、アートギャラリーは1939年にオープンさせています。クララは20世紀初頭より、19世紀のほうが”more picturesque(より人目をひく、おもしろい、絵のように美しい)”な時期だったと語っていたそうです。
ちょっと調べたら、クララは、ボストンのビーコン通り132番地で育ち、近所に住んでいたイザベラ・スチュアート・ガーデナーとも仲がよかったとか!!ボストン美術館のそばに「イザベラ・スチュアート美術館」がありますが、その設立者ですね。自分のコレクションしたものを美術館にしたイザベラと同様、クララのこれらのコレクションもまた素晴らしいもの(目利きだった)ということを、この特別展では伝えているようです。


オルコット一家関係のものがここ。ブロンソンとウィリアム・ハリスの写真、ラルフ・ウォルド・エマーソンの胸像、オルコット姉妹の写真、ルイザとアンナ(姉)の髪の毛、母がフルートランドで編んだメイの靴下(コットンと麻。動物由来のものは使わなかったので)、コンコード哲学学校の講義券、南北戦争の兵士からルイザがもらったコイン、ヘンリー・デーヴィッド・ソローが作った鉛筆。

喜久子さんも初めて見たものがあったとのことで、とても貴重なものを見る機会を得て、本当に私たちのツアーは幸運でした!

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その4

お昼は、1716年創業という、コンコードでも古い歴史を持つ宿屋「コンコード・コロニアル・イン」で。


アメリカの国旗が、ああ、アメリカにいるんだな~~~という実感を盛り上げてくれます。何しろ、私、初アメリカ(笑)
1775年に口火を切ったアメリカ独立戦争の時には、このコロニアル・インのオリジナルの建物の一部が、武器などの倉庫として使われたのだそうです。毎年4月には独立戦争の格好をしたイベントをやっているらしい。

お店や住居、下宿として使われるなどの歴史を経て(ヘンリー・ソローもここに住んでいたことがあるとか)、1889年に現在の形での営業が始まったそうです。「コンコード・コロニアル・イン」という名前になったのは1900年。それから100年以上、続いているのですね。


レストランの建物を入ってすぐのラウンジ。写真左のドアを入っていくと、ホテルの建物のほうに行けます。
ホテル部分とレストラン部分の建物が、横長につながっているんです。どの部分がオリジナルで、どの部分が新しいのかはわかりません…。ただ、どの部分が古いかがわからないくらい、創業当時の面影を残すコロニアル様式に統一されているのはいい感じです♪
コロニアル様式とは、コロニアル(植民地の)材料や風土と、母国と建築様式が結合したもの。正面にポーチがつき、大きな窓やベランダがあって、アメリカではおもに木造、板を横に張った壁が特徴なんだそうです。(ざっくり)


食事をいただいたお部屋。素敵です(≧▽≦) ここに住んでたこともあるソローの肖像画が飾ってありました。


お料理もとてもおいしかったです。デザートが卒倒しそうになるくらい甘く、アメリカの甘さの洗礼を受けた私たちでした(^^;

次の場所へ向かうまでの、数十分の空き時間に、ガイドさんにアンティークショップに行きたいとお願いし、コンコードの町をアンティークショップまで歩きました♪ 古い建物が並ぶ、こじんまりとしたかわいらしい町並みです。

アンティークショップは、”コンコード焼き”が目的でした。”コンコード焼き”の本当の名前はデダム・ポッタリー(Dedham pottery:ボストンの南にあるデダムという町が発祥の陶器)といいます。ボストン土産を検索していて見つけたこちらのサイトによると。
少しグレーがかった乳白色のベースに藍色で模様が描かれ、表面が細かくひび割れているのが特徴(このひび割れが細かいほど高級なんだとか)。1896年~1943年の間デダム・ポッタリー社が研究に研究を重ねた独自の製法で作り上げ、当時アメリカ全土で爆発的人気となったとか。
残念ながら、デダム・ポッタリー社は1943年に閉鎖してしまいました。デダム・ポッタリーのアンティークは、ボストン美術館にも展示されているそうです(後日ボストン美術館に行きましたが、見つけられず(;O;))

現在販売されているのはデダム・ポッタリーの商標を保持している、デダム歴史協会が承認したポッティング・シェド社が作っているレプリカですが、レプリカでもいいから旅の思い出に欲しいなと思ったのでした。
皇后雅子様がハーバード大学に通っていらしたとき、このデダム・ポッタリーを購入され、結納のお返しにされたのだそうです、そのことはこちらのサイトに書いてあります。ウサギの柄が特徴なのかと思いきや、いろいろな種類があるんですね。アウトレット店に行ってみたくなりました。

さて、ガイドさんに連れて行っていただいたそのアンティークショップに、果たして、私が欲しいなと思うデダム・ポッタリーはありました。もちろん、レプリカのポッティング・シェド(ビンテージ)でしたのでお値段はそれほど高くはありません。どれにしようかと迷っている最中、私はなんと、一つを落として割ってしまったのです(;_:) お店の方に、割ってしまったので買います、と言うと、「気にしないで。お代はいらないから」と優しく言ってくださいました。「でも…払います」「本当にいいのよ」「でも…」を繰り返し、やっぱりこれは自分のふがいなさの記念に持って帰ろうと思い、最後には買わせていただきました。


↑こちらは、割ってない(!)小物入れ。この蓋が、すきまがあってぴたっと合っておらず、ぐらぐらして、蓋がぽろっと落ちて、もう一つのカップに落下したのでした…(;゚Д゚) 下の写真の、右側の取っ手が見事に割れて取れてしまいました。他にも欠けたところが…(◎_◎;) もう、絶句です…。

帰国してすぐに、ポンドとパテで修理しました。かなり粉々にくだけたので、こまごまと隙間があり、プロの方に修復してもらおうかとも思いましたが、自分で直してみました(修復初挑戦)。もともと割れているような柄なのと、グレーっぽい色なのが幸いして(笑) パテもそれほど気になりません。気力が出たら、この上から似た色を塗ってみようかとも考えています。こういうのも旅の思い出になりますね(^^;
ひび割れ模様のこのデダム・ポッタリーは、私のもろ好み、というわけではありませんが、素朴さと落ち着きがあり、何よりボストンツアーを忘れらないものにしてくれます。

私の一存でアンティークショップに立ち寄りましたが、ツアーの参加者さんたちも、何人かお気に入りを見つけてお嫁入りされていました。今回の参加者さんは、今までの私のツアーにご参加くださった方々ばかりで、みなさん、アン、オルコットやターシャ、アンティーク好きも私と同じ。アンティークショップに立ち寄るのも喜んで、ショッピングを楽しんでくださいました。ありがたい限りです<(_ _)>

旅行記はつづく

 

 

ニューイングランドツアー日記 その3

若草物語』の作者ルイザ・メイ・オルコットが住んだ「オーチャード・ハウス」のつづきです。前回の日記はこちら→ http://mikiokuda.com/2019/06/24/americatour2/
『若草物語』は、ルイザ自身の家族を描いた自伝的お話だということはあまりにも有名ですね。オーチャード・ハウスでの暮らしも物語の基となっています。
ルイザ自身、4人姉妹で、ルイザはというと、物語のおてんばな次女ジョーです。ジョーのようにルイザも自分の感情をコントロールできないことが悩みだったとか。オーチャード・ハウスのソファには、「ごきげんうかがいクッション」が置かれていました。長方形のクッションが縦に置かれていたらルイザの機嫌がよいことを示しているのだとか。
聡明で優しい母もそのまま(物語以上にすばらしい母だった、とルイザ)。家の中で劇を演じて楽しんだことも、ピアノが上手で内気なべスも、絵が得意な末っ子エイミーも、ルイザの家族や生活がそのまま投影されています。
べスのモデルとなった妹エリザベスは、オーチャード・ハウスに引っ越す直前に猩紅熱のため、23歳の若さで亡くなってしまいました。でも、オーチャード・ハウスには、エリザベスのピアノがあり、肖像画も飾ってあります。

ルイザは1867年に、編集者から女の子のための本を書いてほしいと依頼され、自分の姉妹以外知っている女の子はほとんどいないからと、自分が体験した時代と、自身の家族を物語にしあげました。物語がこびているところや気をてらっているところがなく、生き生きとしているのはそのためでしょう。時代背景はかなり古いですが、今読んでもおもしろいんですよね。

エイミーとして描かれた妹のメイは、作家として成功して得たルイザのお金で、絵の勉強をしにヨーロッパへ行かせてもらいました。『若草物語』の初版の挿絵はメイによるものです。体調がすぐれないルイザの気分がよくなるようにと、メイはルイザの部屋の壁にきれいな花を描いていますし、暖炉の棚にはフクロウ(知恵の象徴であり、夜更かしするルイザをフクロウに見立てたとも)を描きました(オーチャード・ハウスの内部は撮影が禁止なのでお見せできないのが残念)。
家族愛が描かれた若草物語。ルイザも、愛する家族のために作品を描き、その収入を惜しげもなく家族のために使ったのでした。自分の幸せより、家族を大事にしていたのです。

のちに人手に渡ってしまったオーチャード・ハウス。しかし、オーチャード・ハウスを博物館にしたいと、作家のハリエット・ルスロップが買い取り、有志が集まって協会が設立され、1912年に博物館として正式にオープンしました。
オルコット家の偉業を伝えたい、という熱い思いが、今もボランティアとして働く多くの人々の中にも流れています。
ご縁をえて、ボランティアでオーチャード・ハウスのガイドをされているミルズ喜久子さんに、ご案内をいただくことができました。楽しそうにオルコット家のお話をしてくださる喜久子さん。本当にオルコットが好きなんだな~~と、しみじみ感じられ、ツアーの参加者さんも目を輝かせてそのお話を聞かれていました(もちろん、私もです!)。

オーチャード・ハウスのギフトショップでは、みんな興奮しながらいろいろとお買い物♪ 私は厳選して、厳選して…

4人姉妹の付箋がかわいい!使うのがもったいない…。右上のカードは、1915年版『若草物語』の挿画を担当したジェシー・ウィルコックス・スミスの絵。やっぱりいいなあ~。

↑バスに乗る前に、歩いてすぐのところにある、ナサニエル・ホーソーンの家ウェイサイド」を見に行きました(外観だけ見たいとお願いしたの)。実はホーソーンがこの家に住む前は、オルコット一家が住んでいたのです!1845~1848年までの三年間、住んでいました。ルイザはこの家(オルコット一家はヒルサイドと名前をつけていた)で、初めて自分の部屋をもらい、とても喜んでいます。少女時代、この家での日々が最も幸せな時期だったと言っているほどです。そんなこの家こそ、『若草物語』の真の舞台ですね。

実は、『赤毛のアン』の作者モンゴメリも、オルコットが大好きでした。『赤毛のアン』の原稿を受け入れ出版に応じたのは、実はカナダの出版社ではなく、ボストンの出版社でした。赤毛のアンが大ヒットし、モンゴメリはボストンの出版社から招待を受け、1910年11月にボストンを訪れているんです。
その時、モンゴメリは、このオーチャード・ハウス、そしてホーソーンの家(この家かな?別の家かな?)、エマーソンの家にも来ているんです。
オーチャード・ハウスが博物館としてオープンしたのは1912年ですが、モンゴメリは1910年に訪ねた際、きっと内部も見学していると思います(コネクションを使って…(笑))。そして、島以外で、私が住みたいと思った唯一の場所がコンコードだと、日記に書いているんです! モンゴメリが住みたいとまで思って気に入ったコンコード。町の中心地(オーチャード・ハウスは町のはずれのほうにある)へ、お昼を取るため、移動です。

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その2

6月12日(水) 晴れ
今日は、『若草物語(原題:Little Women)』の作者ルイザ・メイ・オルコット(1832~1888)をたどる一日です。
まずは、コンコードにある、オルコット一家が住んだ家「オーチャード・ハウス」へ。
コンコードは、アメリカ独立戦争の始まる契機となったレキシントン・コンコードの戦い(1775年)があった地として有名だそうですが、もうひとつ、文豪が何人も住んでいたことでも有名です(コンコード派とも呼ばれるらしい)。

思想家・哲学者・作家・詩人として活躍したラルフ・ワルド・エマーソン、『緋文字』を代表作とする作家ナサニエル・ホーソーン、『ウォールデン森の生活』を書いたヘンリ―・デイヴィッド・ソロー。そして、『若草物語』を書いたルイザ・メイ・オルコットと、その父エイモス・ブロンソンです。
オルコット一家が「オーチャード・ハウス」に住んだのは、1858~1877年の約20年で、あちこち転々としたオルコット家が、一番長く腰を落ち着けた家です(といっても娘たちは結婚や仕事で実家を離れましたが)。
コンコードという町には、その前にも(ルイザが7~10歳の時と、13~16歳の間にも)住んでいました。オルコット一家とコンコードとの縁は、ルイザの父エイモスがエマーソンと交流があり、エマーソンの勧めがあったからです。

エマーソンは『自然』(1836年)で、超越主義哲学(transcendantalism(トランセンデンタリズム):超絶主義ともいわれる)を打ち出し、その思想は他の思想家、著述家、詩人などに大きな影響を与えました。ホーソーン、ソロー、そしてルイザの父も、エマーソンの超越主義に共感しました。エマーソンはコンコードを超越主義のふるさと、知的文化の中心にしたいと思っていて、ルイザの父も呼び寄せたようです。
超越主義がどんな思想なのかは、追って書きますが、この新しい思想に傾倒したルイザの父エイモス(エイモスもまた哲学者で、教育者でした)を抜きにして、ルイザは語れません。


写真で見て外観は知っているけれど、実際に目の前にその家が現れると…言葉にできない感動が…。

ルイザの父エイモスがこの家を購入した時、りんごの果樹園があったことから「オーチャード(果樹園の意味)」という名前がつきました。17世紀に建てられたというこの家は当時すでに古すぎましたが、エイモスが上手に手を入れて改装したのだそうです。(→この家は1965年、アメリカの国定歴史建造物として認定されています)

オーチャード・ハウスに住み始めた時、ルイザは26歳。処女作を出版し、すでに作家として活躍を始めていましたので、この家の自分の部屋で執筆するルイザの写真が残っています。『若草物語』もここで書かれたんですよ~♪♪


母屋の後ろのあるこの建物は、1879年に開校した、父エイモスの哲学学校。超越主義哲学をはじめとする、知的で文化的な議論が行われたそうです。アメリカにおける成人教育のはしりで、ヨーロッパからも参加する人々がいるほど、人気があったとか。(現在内部の見学はできません)

ルイザがこの家に住んでいた時期に勃発したのが「南北戦争」(1861~1865年)です。のちに出版され、大ヒットするルイザの『若草物語』は、南北戦争の頃が舞台です。
ルイザは看護婦に志願し、ワシントンの病院で南北戦争の負傷者を介護します。しかし自身が腸チフスにかかり、オーチャード・ハウスに戻ってきたのちも生死をさまよいました。1863年に出版された『病院のスケッチ』は、この時の体験をもとに書いたものです。

南北戦争とは、どんな戦争だったのか、私自身がうろ覚えなので、確認してみます。
アメリカ合衆国の歴史で唯一の内戦である「南北戦争」。アメリカ国内の南部北部とが分断して戦った大規模な戦争で、死者は62万人にものぼるといわれます。

原因は、南部と北部での経済状態の違いと、黒人奴隷の解放です。
イギリスとの結びつきが強かった南部は、イギリスからの輸入量が多かったので、安い関税を求めます。また、南部では黒人奴隷をつかった綿花栽培のプランテーションも発達し、その綿花がイギリスへ輸出されていました。

北部は、工業化が進んでいたため、イギリスからの輸入品に高い関税をかけて国内の産業を発展させたい。また、黒人奴隷にも反対でした。南部の奴隷を解放して労働力を得ようと画策します。

1860年11月の大統領選挙で、奴隷制に反対するリンカーンが当選。南部の人びとは危機感を強めました。翌年には南部の7州が合衆国を脱退し、ジェファソン=デヴィスを大統領とするアメリカ連合国の独立を一方的に宣言(アメリカが北と南で分断)。4月には武力衝突が発生し、南北戦争が始まってしまいます。

4年にもわたる闘いの末、北部が勝利。アメリカは再び統一され、リンカーンによる「奴隷解放宣言」がなされますが、黒人への差別や偏見はなくなりませんでした。

『若草物語』の第一部(四部まである)は、南北戦争が終わってから3年後の、1868年に出版されています。
戦地へ北部軍の従軍医師として赴いた父が留守の間、母と4人の娘がけんかをしながらもしっかりと家を守る、というお話です。
ルイザの父も、ルイザ自身も黒人奴隷制反対者でした。ルイザの父は黒人の生徒を自身の学校に入学させたために出資者を失い、閉校にさせてしまいました。でも、物語に黒人問題は出てきませんね、少女向けのお話としてあえて避けたのかもしれません。

旅行記はつづく

ニューイングランドツアー日記 その1

私が同行解説する『ターシャ・テューダーの庭とニューイングランドの旅7日間』の思い出をつづります。

一日目 2019年6月11日(火)
成田空港から、JALのボストン直行便で出発。機体は最新鋭のためきれいで、座席も通常より少し広いとのこと。料理もおいしく、日本語も通じるので、みなさん快適に過ごされたようです。いつも通路側の席を取るのですが、今回はすでにいっぱいで窓側しか空いていませんでした。でもそれおかげで、窓からの景色が撮れました。ボストン空港にかなり近いところの写真ですが、眼下に見えるのがどのあたりかは、さっぱり(^^;

18時過ぎに、無事にボストンに到着。約12時間のフライト。それほど揺れもなく、ほっとしました。
一番驚いたのは、窓には遮光用のブラインド(プラスチックの覆いを上げ下げするやつ)がついてなくて、どうやって暗くするんだ!?と、戸惑いました(;’∀’) 窓の下のボタンを上下に押していくと、明るくなったり暗くなったりするしくみでした!今はこんなふうになっているんですか!!衝撃。窓全体が段階的に青みを帯びていき遮光するんですが、完全には暗くならないんです。完全に暗くならないとぐっすり眠れない私、昔のブラインドでいいのにな…って思ってしまう。アイマスクをつければいいのだけれど、映画も観たいし、時差ボケの調整に起きているのもいいだろうと思い、ほとんど映画を観てました。
私にとっては、実は初・アメリカ(笑) 時差は13時間(ほぼ昼夜逆転ですね)。入国審査は、審査官によって聞かれる内容も違うようですが、私は目的と何日いるの、だけで終わりました(^^ゞ 参加者さんが、新品で購入されたというスーツケースのキャスターが一個、壊れてなくなっているという問題が発生。私も以前、一人旅の帰国時、スーツケースが大きくへこんで壊されたことがあります。新品と交換してもらったけれど、旅の始まりにスーツケースが壊れるのはつらいですよね。

出口で現地ガイドさんのお迎えを受け、バスに乗り込み、ホテルへと移動。ボストン空港は、ボストンの中心地からも近いので楽ですが、翌日からの目的地が、ボストン郊外のコンコード、そしてバーモント州なので、そちらへ移動しやすいボストン西部のホテルに宿泊します。ネイティックNatickというところです。19時過ぎていたのでこの日はこれで解散。
ホテルのすぐそばには、大きな、ネイティック・ショッピングモールがあります。明日はこのモールの中で夕食を、と考えており、外もまだ明るかったので、添乗員さんと一緒にどんなところか視察へ行ってみました。小腹が空いていたので、フードコートでちょこっとメキシカンフードを。モールは21時で終了なので、ほとんど人はいなかったです。

カナダのショッピングモールでその巨大さには慣れてはいますが、アメリカも負けず劣らず大きい!!そしてここはきれい!!モール内に白樺の小道やら、休憩ベンチにはチェスまで用意されている…。


ここはトイレ。なんとまあゴージャスな…。

お店もたくさんあるし、明日は夕食を含めてもたくさん時間があるので、ショッピングも楽しめそうです。
(つづく)

ムーミン展へ行ってきました

17日(月)、無事に、私が同行解説する『ターシャ・テューダーの庭とボストンツアー』から帰国しました。私をはじめ、ご参加者のみなさん、体調も悪くならず、お怪我もされずに元気に帰国されたことにほっとしています。ご参加くださったみなさま、本当にありがとうございました。
様子はまだ追々、アップしますので少しお待ちください<(_ _)> ツアーを振り返りながら、旅行記録としてしっかりと書いていきたいので、どうしてもリアルタイムでアップができないのです…。

このツアーの出発日(11日)、成田での集合時間は16時でした。せっかく東京まで行くのなら、と、『ムーミン展』を見て来ました(*^^)v 16日で終了しているので、ギリギリ間に合いました。

日本ではアニメになったムーミンが有名で、私も子どもの頃観ていましたが、原作はフィンランドの作家トーベ・ヤンソン(1914~2001)が書いた物語。国際アンデルセン賞を受賞しています。アニメよりももっと心にぐいぐい迫る、大人が読んでも考えさせられる内容なんですよね。

ヤンソンの原画が思った以上にたくさんあって、感激しました。物語のムーミンの絵は、アニメと違い、色もモノクロでタッチもちょっと暗くて怖いんですが、それでもどこかユーモアがあって惹かれてしまうんですよね。
ヤンソンのデッサンや下書きなども展示してあって、そういうのを見ると、画力があったんだな、としみじみ感じました。黒一色のペン画も、繊細で…。
フォトスポットは最後にちょこっとありました。

思ったより見学に時間がかかってしまったので、お昼はムーミン展のコラボカフェで済ませました。


頼んだのは、スナフキン・フィッシュバーガー。帽子は抹茶味のトルティーヤになっていて食べられます。お花も、エディブルフラワー。おいしかったです! カフェより、グッズ売り場がめちゃ混みでした。これからアメリカに行く私(笑)荷物は増やせないので、ポストカードだけ購入しました。
今年、ムーミンの新訳、新装版が出版されたようです!ぜひとも読んでみようと思います♪

ムーミン展はこれから、大分、金沢、名古屋と、巡回するそうです!!お近くの方はぜひぜひ。詳細は→https://moomin-art.jp/

ターシャ・ツアーへ出発♪

明日11日から、17日まで、私が同行解説する「ターシャ・テューダーの庭とボストンツアー」に行ってまいります!!
ターシャの庭は撮影が禁止されていますが、ツアーの様子は帰国後にまたブログでご報告しますね(*^^)v


写真の布地は、鎌倉の「風想花」さんオリジナルのもの♪♪

最近観た映画3作

GEOのDVDレンタル100円キャンペーンを知り、早速、3作、借りて観ました!

●『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』

『ファンタスティック・ビースト』シリーズの二作目。舞台はロンドンからパリへ。なるほど、なるほど、こういう展開になったのね。
ダンブルドア校長が若くて…40代という設定らしいですが…ちょっと違和感が(^^; ジュード・ロウじゃないほうがよかった気がするのは私だけ!? ニュート役の男優さんはいい感じで、好きです♪
ホグワーツ校の女生徒の制服、スカートがタータンだったのを、私は見逃しませんでした!!!(笑) 赤いタータンでした! みんな黒いマントをはおっているので目立ちません、もっと目立たせてくれたらいいのにぃ。あの当時はタータンが制服だったんですね…。ハリーの時代はもう違っている…残念~~~(;O;)

このシリーズはいったいいつまで続くのだろうとググったら、5作で完結するらしいです。そして、それぞれ、違う場所を舞台にするとのこと。それも楽しみですね~。

●『ボヘミアン・ラプソディー』

実は劇場で見損ないまして、やっと観ることができました。
クイーンの全盛期は私はまだ小学生だったので、よくわからないというのが正直なところですが、その後、クイーンの曲はあちこちで使われてきているので、曲は知っていました。
また、フレディがエイズで亡くなったことも知ってはいましたが、フレディが同性愛者だったからエイズになったかのような描かれ方をされていることは残念な点でした。そう思っていたら、こんな記事がありました→ https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/03/post-11795.php

映画なので作っている部分もあるようで、実際どうだったのかを知らないと本当の意味でフレディやクイーンを知ったことにはならないのだろうと思います。伝記的な本を読んでみたくなりました。
ただ、最後のコンサートのシーンはとても感動的でしたね。英語で一緒に歌えたらよかったなあ。

●『しあわせの絵具 愛を描く人 モード・ルイス』

これはカナダのノヴァ・スコシア州で生まれ育った画家の伝記的映画だということで、借りてきました!!何の前情報もなく、ジャケットにカナダでロケ、と書いてあったことで興味をひかれたわけですが、この映画、すごく、すごくよかったです。
『赤毛のアン』を著したルーシー・モード・モンゴメリと同じ”モード”という名前、そして、プリンス・エドワード島のお隣のノヴァ・スコシア州で暮らした、と、親しみを持つ要素はたくさんあるのに、私はこの映画を観るまで、モード・ルイスのことを知りませんでした…(;_:)
彼女の描く絵はもろに私の好みなのに、また、ノヴァ・スコシアにも何度か行っているのに、気づかなかったか、出会えなかったか…なんですよね。すごく残念ですが、でもこの映画で知れたことは、とっても嬉しい♪
リューマチを患ったことで手足が不自由だったモードが、自由に描く絵で、人々に知られるようになっていく…。そして、魚の小売業をするエベレットと結婚して、小さな、小さな家で死ぬまで一緒に暮らすという、彼女の幸せ感、「私は多くを望まないから…」というセリフ。気難しくてモードに厳しく当たることもあるけど、実はモードを愛しているエベレットにも、じーんときました。
こちらもどこまで真実を描いているのかわからないので、関連書を読んでみたいです。日本語はなさそうなので英語になるかな(-_-;)

映画のロケは、ニューファンドランドのセント・ジョン近郊の漁村だそうです。ニューファンドランドは、プリンス・エドワード島の北にある島です。島から近いけど、まだ行ったことがなかった~今度行ってみたい!

ノヴァ・スコシア州のハリファクスにあるアート・ギャラリーには、二人が暮らした本物の家が展示されているとのことなので、ぜひ見に行きたい!!!!です。→ https://www.artgalleryofnovascotia.ca/maud-lewis

  
モード・ルイスの絵を使ったスタンプ風画像(映画の公式HPより)

鎌倉まで小旅行④

鎌倉小旅行中、ちょこちょこ、甘いものも、口に入れることも忘れませんでしたよ(*^^)v 鎌倉文学館を見たあと、「コケ―シカ」さんに行ってみると、なんと定休日(;゚Д゚) がっかりしましたが、そばの麩まんじゅうのお店で、つめた~い麩まんじゅうをいただいて元気を取り戻しました(笑) 暑い日だったので、冷たいお菓子は体に染みます。

「風想花」さんを訪ねて小町通りを歩いたので、事前にチェックしていた、豆乳黒ごまソフトもいただきました♪ お友だちは金ごまソフト。

江ノ電のホーム売店でお友だちが買った「江ノ電和三盆」。パッケージも中身もすごくかわいらしかったので、写真を撮ってもらいました!


う~ん、やっぱりかわいい♪♪私も買えばよかったかな(^^;
今回は鶴ケ岡八幡宮にはまったく行けなかったので、次回のお楽しみにします。紅屋さんのクルミッ子、買いたかったなあ…。