英国ファンタジーツアー日記 その19

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2018年6月6日(水)ツアー7日目、最終日。
今日もいいお天気です!ロンドンで雨に降られなかったのは、今回が初めて。本当に天気には恵まれました(暑かったけど)。
今日は午前中がフリータイム。12:30にホテルを出発して空港へ。15:45の便で日本へ帰国します。
ホテルのチェックアウトタイムは12時までなので、12時前に帰ってこれれば荷物は部屋に置いていけます。歯も磨きたいので、がんばって12時前にホテルに戻れるよう、計画しました。

まずはお気に入りのテンプル駅へ。このあたりの街並みがとても好きです。朝早いのでどこも開いてませんが(^^; 仕事へ向かう人々の喧騒を感じるのもなかなかですね。

こちら↑は、ハリー・ポッターの映画で、グリンゴリッツ銀行の外観として使われた「オーストラリア大使館」。

写真の左のほうに、ちんまりと収まっている小さな白いビルが見えますでしょうか。これが紅茶のトワイニング社

ここからバスで、セントポール大聖堂へ向かいます。

前回ここを訪ねたのは夜で、おまけに雨も降っていたので、今日はこんなに天気がよくてラッキーです。セントポール大聖堂も、ハリー・ポッターの映画のロケがされました。トレローニー先生の占い学の教室に続く幾何学的な階段はこの聖堂だそうです。すでに見学希望者の長い列ができていたので、時間がかかるかなと思って、見学は諦めました。

ここから歩いて川のほうへ。「ミレニアム・ブリッジ」↑があります。この歩行者専用の橋も、前回来たのはセントポール大聖堂と同じ日、夜で雨でした(^^; ハリー・ポッターの映画で、死喰い人に攻撃された橋がこれです。

テムズ川。お日様の光でキラキラ~♪ 向こうに見えるのは「タワーブリッジ」。

さて、このあとが本番です。今日の一番の目的地「Ragged School Museum」へ向かいます。Raggedとは、みすぼらしい、ぼろを着た、という意味。つまり、昔、貧しい子供たちのための学校だったところが、博物館になっていんです。こちらは開館日が限られているので、あらかじめ、今日オープンするかどうか、ちゃんと確認しました。駅から10分くらい歩くので、ここでもホテルのhandyスマホが活躍してくれ、迷わずたどり着けました。
オープンは10時。ホテルに遅くても11:45には帰っていたい。ここからホテルまでは、歩く時間も含めると1時間はかかります。そうなると、40分くらいしか、見学時間がありません。オープンと同時に入れるよう、10分前には到着。日陰で待っていると、スタッフが到着(遅い出社だな(^^;)。「もう入れる?」と聞くと、「まだよ。10時オープンだから」と言われました。気持ちは入れてくれ~~と必死に焦っているのですが、10時を待つしかありません。

10時きっかりに中に入りました。
ここは、医者で博愛主義者のトーマス・バーナードが設立した、貧しい子供たちのために無料で教育をほどこす学校です。バーナードはアイルランドから医者になるためにロンドンに来た際、子どもたちの育つ環境の劣悪さに愕然としたそうです。学校は1867年に始まり、1908年まで続きました。この学校は、彼の慈善活動の第一歩でした。

当時、貧しい子供たちにも教育を受けさせようという動きは活発で、そうした目的で作られた学校の中でも、バーナード博士のこの学校の生徒数は最大だったそうです。貧困層がこの地域に多く住んでいたこともあるでしょう。
教育だけでなく、食事や、最低限の医療もほどこしていたようで、バーナード博士の名は海外にまで知れ渡っていました。
実は『赤毛のアン』にも登場するんですよ。マリラが、隣りの州の孤児院から孤児を引き取ることにした話をリンド夫人にした場面。マシユウは最初”故国イギリスの孤児院の子はどうだろう”と持ち掛けたのだが、自分はいやだと言った、ロンドンの町中をうろついている浮浪児みたいなのはごめんだ、せめてカナダ生まれの子にしてくださいと言った、とマリラが言います。ここは原文だとMatthew suggested getting a Barnardo boyとなっています。バーナード・ボーイというのは、バーナードが1870年に設立した男子孤児院の子ども、という意味でしょう。

バーナードは、子どもたちが大きくなって自立できるよう、大工仕事や靴磨きなどの技術も教えましたし、カナダやオーストラリアなどの、イギリス連邦に属する新しい土地でよりよい暮らしができるように養子縁組にも関わりました。
1873年には女子の孤児院も設立。生涯、貧しい子供たちのために尽力しました。1905年に亡くなるまで、バーナードは96の孤児院に関わり、8500人以上の貧しい子供たちを助けたそうです。その意思は引き継がれ、現在「バーナード」というNPO団体となっています。ダイアナ元妃は、生前、この団体の会長をつとめていました。

マリラがバーナード・ボーイはいやだと言ったおかげで(?)アンがグリーン・ゲイブルズにもらわれてきたともいえますね。『赤毛のアン』は、イギリスからカナダに移民してきた人々が作った村のお話なので、ちょくちょく、こんなふうに、故国イギリスのことが出てくるのです。
こうした、物語の背景を知ると、より物語が深く味わえるので、私はセミナーでこうしたお話もさせていただいています。

スタッフの方がバーナード博士のことや、当時の子どもたちの様子などを丁寧に説明してくださいましたが、いかんせん、私には時間がなく(-_-;) 後ろ髪をひかれつつ、ホテルへと急いで戻りました。
(つづく)

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