みちのくの小京都・村田(前編)

Spread the love
Pocket

「ジャックスビレッジ」の帰りに、村田町を訪ねました。車でしたら5分と、とても近いので、ぜひ、訪ねていただきたいお勧めスポットです。

村田といえば「スポーツランドSUGO(国際レーシングコースを持つ総合モータースポーツ施設)」が有名ですが、私自身の記憶は、小学校の時にキャンプに行ったことくらいで…。実はモータースポーツ目的には行ったことがありませんです^_^;

そういうわけで、村田というところにも、仙台出身といいながら、ほぼ初めての感覚で行った私です。目的は、平成26年に重要伝統的建造物群保存地区に指定された蔵の町並みを見るため。町並みといっても、東西180メートル、南北約470メートルという、狭い範囲なので、歩いて廻れます♪

村田というのは、正直、田舎の、忘れ去られたさびしい村というイメージがあって(村田の方、すみません!!)…。でも、実際に行ってみたらとってもすてきな町並みが残っている!!! けれど上手に活用されておらず、宣伝も行き届いておらず、もったいない!!!と正直思いました。

村田は村田城というお城があった、れっきとした”小京都”であり、江戸から昭和の初期までは商業の町として活気があったのです。今はなき村田城は、室町時代に、豪族の小山九郎業朝が居館として設けたのがはじまりで、地名の村田にちなんで村田姓にあらため、当地をおさめました。その後、台頭した伊達家に従うようになり、その後、あの有名な伊達政宗の時代となります。

江戸時代に商業の町として栄えた理由は、紅花(ベニバナ)の取引です。ベニバナは、友禅や西陣などの絹織物を赤く染める染料として、また、口紅の原料として明治時代初期まで、高い値段で取引されました。産地としては、山形県や関東地方などが有名ですが、仙南地方(現仙台市の南部で、旧柴田郡、旧刈田郡、旧伊具郡が該当する)でも栽培がさかんでした。「南仙紅花」は品質がよく、江戸時代後期の18世紀末には、京都の市場で山形産を上回る値段で取引されたこともあります。仙南の紅花以外にも、地域的に近い山形の紅花も取り扱っていたようです。

ベニバナは各産地から村田に集められ、馬で大石田まで運ばれ、そこから最上川を船で下って酒田へ、そこから北前船で日本海を通って敦賀へ。そこから京都、大阪へ運ばれました。陸路は、奥州街道で江戸へ。そこから船で大阪方面へ。
帰りの船には、さまざまな物資(呉服や雑貨、薬、海産物、砂糖や塩、書籍など)が積み込まれ、村田にもたらされました。ひな人形や屏風といった都の文化が、みちのくの小さな町に残るのはそのためです。

(つづく)

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です